中・高校生には「制服は不可欠」で、「茶髪・ピアスは不相応」なの? | ||||
この問題を考える時、一番の問題になるのは学校の「世間体」かもしれません。 「服装の乱れは心の乱れ」と言う常套句は、ある側面では真理を衝いているかもしれませんが、だからこそ、問題にすべきはその一人一人の心でしょう。 「生活指導がなっていないダメな学校だと思われたくない」「学校のブランドイメージを損ないたくない」など、特に私学では生徒募集に影響が出るのではないかとビクビクする人もいます。 次に紹介するのは愛知県の公立高校の例ですが、この記事のリードからもそうした学校の思い込みがうかがえます。
また一方で、特に制服については卒業生のノスタルジーが、その変更や廃止をはばんでいることもあるでしょう。制服に限らず、衣服や装飾はその時代を表すと共に、自分が生きた過去を懐かしむときに欠かすことのできないものでもあります。「今も昔と同じ」であることが、自分のアイデンティティを安定させる上で重要であることも間違いありません。 「学生らしさ」という言葉は、一定の社会的認知がありそうですが、この「らしさ」こそをまず疑ってみる事も大切ではないでしょうか。「女らしさ」がいかに女性を社会的弱者として縛ってきたかを知れば、学生らしさも「管理」の一貫でしかないのかもしれません。 私たちは次にあげるような母親の悲痛な訴えを無視できるでしょうか。
また、2004年3月2日の『よみうり教育メール』(vol.843)の教育相談コーナーでは次のような相談があり、教育評論家の荻直樹さんが人権侵害と指導体制の二つの面から回答をされています。
一方、茶髪黒染め指導が人権侵害に当たるという認識が広まるにつれ、指導に悩む教師が増えてきているのも教育現場の実情です。2005年3月11日の『よみうり教育メール』(vol.1110)の教育相談コーナーには下のような小学校の教師の戸惑いが寄せられています。それに対して山田中学生問題研究所代表の山田暁生さんが指摘する次の「親をする説得」二つの条件は、中高校生やその親に対しても、同様ではないかと思えます。 1.説得される側に、受け入れる気持ちが多少なりともあること 2.説得する側に、相手が納得する理(根拠や理由、正当性、日ごろの心の交流)がある話ができること。
一方、「管理教育反対!」ということよりも、セクシュアル・ライツの発想から、もう一度茶髪・ピアスを捉え直してみることで、この問題の本質が見えてくるかもしれません。問題のポイントは、「カラダ」は誰のものかということ事です。それを考える手掛かりは、人間にとっての「服」。中でも一番カラダに密着している下着かもしれません。プライバシーというと何やらヒステリックな言葉としてしか受け止められない人もいるようですが、他人が侵してはならない権利とは何かを考えていく大切な素材は身近なところにたくさんあると思います。 さらに身体に直接施す装飾としての文身(刺青、入墨)に注目することで、子どもたちの行為や、それに対する大人たちの恐れ≒畏れ≠民俗学的に理解することができるかもしれません。 中高校生は子どもから大人へと移行する境界の存在≠ナす。大人はそれを制服という装置≠ノ閉じ込めてコントロールしようとします。そして子どもたちは既成の道徳や日常性を打ち破り、大人(=旧常識)が着せた仮の衣服を脱皮し、大人としての新たな自分に変身するためにひととき傾(かぶ)きます。 学校が知を継承する場≠ナあるならば、一人前の大人になる手続き=イニシエーションとしての化粧や異装の意味を、教室でいっしょに考えてみることがあってもよいのではないでしょうか。 |
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(2004年3月2日 一部改訂) (2005年3月11日 一部改訂) (2005年5月15日 一部改訂) |
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