みんなに『手紙』を渡すのも今日が最後になりました。ハレの門出の日にはおめでたい言葉や明るい励ましがふさわしいのかもしれません。しかし、ギシギシ音を立てながら方向転換しているこの国と学校の行く手に見えてくるものに大きな危険を感じつつ、その渦中で非力のままに立っている苦しさを感じている今、自立した社会人として歩み出そうとしているみんなに僕が贈るべきものは、一人一人が自分の生き方やあるべき社会について、そこに暮らした人々といっしょに考えられる材料だと思うのです。 |
ブックレット基幹運動No.10 『平和シリーズ2 写真に見る戦争と私たちの教壇』 「終戦50周年前戦没者総追悼法要 ご親教 1995年4月15日」より抜粋 私たちの教団は仏法の名において戦争を肯定し、あるいは讃美した歴史を持っております。たとえそれが以前からの積み重ねの結果であるとしても、この事実から目をそらすことはできません。(中略)そこでは非人間的行為が当然のこととなり、「いのち」はものとして扱われ、環境が破壊されます。それへの参加を念仏者の本分であると説き、門信徒を指導した過ちを厳しく見据えたいと思います。 |
『金髪生徒を強制染髪 名古屋・県立商業高』 http://www.mainichi.co.jp/edu/edunews/0402/19-1.html 名古屋市内の愛知県立商業高校で、金色に染めた女子生徒の頭髪を、生徒指導担当の男性教諭(46)が、黒い染髪スプレーで強制的に染め直した。校長は「他の生徒の就職活動にマイナスになってはいけないと考えた。だが、体罰という誤解を招きかねない行動だった」と行き過ぎを認めた。卒業・就職シーズンを控え、イメージを優先した学校側の生徒指導のあり方が問われている。【中井正裕、山田泰生】 |
『仰げば尊し』 ※ 「日頃の恩を忘れるな」と言っているのは誰なのでしょうね。 1番 仰げば 尊し わが師の恩 教えの 庭にも はや いくとせ 思えば いと疾し この年月 今こそ 別れめ いざさらば 2番 互いに むつみし 日ごろの恩 別るる後にも やよ 忘るな 身を立て 名をあげ やよ励めよ 今こそ 別れめ いざさらば 3番 朝夕 なれにし まなびの窓 蛍のともし火 積む白雪 忘るる まぞなき ゆく年月 今こそ 別れめ いざさらば 『蛍の光』 ※ 隠された歌詞がある歌を歌い続ける意味は何なのでしょうか 1番 蛍の光 窓の雪 書(ふみ)よむ月日 重ねつつ いつしか年も すぎの戸を あけてぞ今朝は 別れゆく 2番 とまるも行くも 限りとて かたみに思う ちよろずの 心のはしを ひとことに さきくとばかり 歌うなり 3番 筑紫のきわみ 陸(みち)の奥 海山遠く へだつとも その真心は へだてなく ひとえにつくせ 国のため 4番 千島の奥も 沖縄も 八島のうちの 守りなり いたらん国に いさおしく つとめよわが背 つつがなく 『君が代』 ※ この歌が一種の『踏み絵』にされている学校と社会の現実をどう考えますか。 君が代は 千代に八千代に さざれ石の 巌と成りて 苔の むすまで 『京都女子中学・高校校歌』 ※ 口にした言葉が何を意味するのかを知る力を理性と呼び感性と呼ぶのです 2番 花のごとくも美はしく 月のごとくも清らけく 大和女(やまとをみな)の誉(ほまれ)をば 千代に伝へん 我等の思ひ 4番 慈悲のかひなに抱かれつつ 知恵の眼に護られつつ あはれ久遠の命をば とはにたたへんわれらの栄 |
夜の窓 死の扉の優しさとは共に闘う勇気のことへもどうぞ |
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初雪の朝。降りしきる雪をものともせず歓声を上げて雪合戦したり、植え込みの雪を掻き集めて雪だるまを作っている元気な姿は、見ているものの心も弾ませます。 |
つづく |
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今日の現代文の授業で語られた3人の「主張」はとてもリアリティがあり、心打たれるものでした。でも、ここで僕らが本当に気付かなければならないのは、「語られていない主張」が3年1組の中だけでもあと39あるということです。 第一条 第二条 第三条 そしてこの宣言と対をなす、我が『日本国憲法』の前文は次のように始まり、その後半は国際平和についてうたわれています。 われらとわれらの子孫のために、諸国民との協和による成果と、わが国全土にわたつて自由のもたらす恵沢を確保し、政府の行為によつて再び戦争の惨禍が起ることのないやうにすることを決意し、ここに主権が国民に存することを宣言し、この憲法を確定する。 われらは、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めてゐる国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思ふ。 われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する。 われらは、いづれの国家も、自国のことのみに専念して他国を無視してはならないのであつて、政治道徳の法則は、普遍的なものであり、この法則に従ふことは、自国の主権を維持し、他国と対等関係に立たうとする各国の責務であると信ずる。 日本国民は、国家の名誉にかけ、全力をあげてこの崇高な理想と目的を達成することを誓ふ。 『日本国憲法』の第1章は天皇に関する定めで、第2章は第9条から始まります。 第9条 戦争放棄、軍備及び交戦権の否認 いま、この憲法を改正する準備が進められています。そして、いよいよ自衛隊が装甲車や無反動砲を携えてイラクに出発させる決断を小泉首相はするようです。 |
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つづく | |
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彼女たちは、政治に直接参加できる選挙権もなく、飲酒や喫煙による害を自己責任として引き受けることもできませんが、もう子どもではいられなくなった宙ぶらりんの存在です。
さて、 少子化が問題にされる中で、森喜朗前首相は「子どもを沢山作った女性が、将来国がご苦労様でしたといって、面倒を見るのが本来の福祉です。ところが、子どもを一人も作らない女性が、好き勝手、と言っちゃなんだけど、自由を謳歌して、楽しんで、年とって……税金で面倒見なさいというのは、本当におかしいですよ」と語った。 子作りはお国のためか?子どもがほしくても産めない女の苦しみに思い及ばぬのか? 早稲田大学のサークルによる集団レイプ事件に対して、太田元総務庁長官は「(集団レイプする人は)まだ元気があるからいい。正常に近いんじゃないか」と言い、その後「異性を求めるのならば、結婚相手を探すべきだ、と言いたかった」と弁明した。 結婚は男による女の支配か?無理強いされる女の屈辱感に思い及ばぬのか? 長崎の中学1年生による幼児殺害事件に対し、政府の青少年育成推進本部副本部長でもある鴻池祥肇防災担当大臣は「嘆き悲しむ(被害者の)家族だけでなく、犯罪者の親も(テレビなどで)映すべきだ」「親を市中引き回しの上、打ち首にすればいい」と言った。 死刑で殺人はなくせたか?子どもの心の深い闇と、闇に戸惑う親の絶望に思い及ばぬのか? ◇みんなが高校1年生だった2001年9月、神戸市北区で監禁された車から飛び降りた中1の少女が、転落後別の車に轢かれて死にました。監禁したのはテレクラで知り合った中学校の教師でした。 ◇みんなが小学校6年生だった1997年5月、神戸市須磨区で酒鬼薔薇聖斗と名のる中3の少年が、小学生を殺して校門に切った首を供えました。この事件をきっかけに少年法が「改正」されました。 ◇みんなが小学校に上がる前年の1990年7月、神戸市西区の県立高1の少女が、学校の「生活指導」によって命を失いました。 その後、神戸の学校はどうなったのか。2003年7月7日付毎日新聞兵庫版には「神戸高塚高校門圧死事件 13年目の門前追悼」という記事が載っていました。その一部を下に紹介します。
望もうと望むまいと、子どもから大人になっていかなければならないこの夏。 |
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つづく | ||||
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毎度のことですが、「世の中にはいろんな常識があります」。そして、「家々によって暮らしの条件がそれぞれ違います」。 |
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しつこく・しぶとく・しくじらず、生き抜くための手立てをしっかり取ってください。
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つづく | |
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自らの愚かさを知った人間は他人を軽蔑したり見下したりして傷つける事が少なくなり、救いを求めている人に手を差し伸べる優しさを手に入れることができるかもしれません。 |
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※ 紹介したのは「第三章 なぜ助け合うのか」で、不登校生徒にまつわって語られた、「わがまま」を否定し「協調性」を求める競争社会への批判に関する部分です。 |
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つづく |
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今日が何の日か覚えていますか?去年の今頃、みんなは何をしていたか覚えていますか? |
そんな今日の朝日新聞朝刊に載っていた記事が、次の切抜きです。
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つづく |
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3年1組は「初等教育専攻」や「児童学科」を希望している人がたくさんいます。そうした志望を持つならば、大学に進学するための勉強を、焦らず怠けず地道に積み重ねるのと同時に、日々の学校の出来事を通して『教育者』にとって必要なことは何かを考え、あるいは議論していくことがあってもいいかもしれません。
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つづく | |
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今日は朝から「いかにも梅雨」といった趣きの雨が降っています。登校直後や体育の後は暑いのでクーラーを強めに効かせている教室もあるようですが、噴き出した汗が引いた後、一気に体が冷えてお腹を壊したり風邪をひいたりする人が続出しそうで心配です。 |
2003年6月1日付朝日新聞朝刊2面 ひと 欄
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つづく |
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来週の月曜日は保護者会で5・6時間目は授業カット。1組では全体会に30数名、クラス懇談会に20数名が出席してくださる予定です。いずれもみんなの進路に関することが中心になると思いますが、クラス懇談会では来て下さったお母様やお父様に、僕の進路を相談したいところです。
おまけのおまけ 2003年6月13日の「No.506 Mainichi Daily Mail Education毎日教育メール」には、京女の高校3年生を紹介する次の記事も載っていました。
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つづく |
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「進路」と言うとすぐに受験や進学の話になりますが、ホントは自分がどんな「生き方」をしていくのかっていうこと抜きに話せないことでしょう。そして、それは「これからどうしよう」って漠然と頭の中で想像することではなく、「いま自分が何を決断しどう行動するか」という差し迫った問題なのかもしれません。
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つづく |
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その小さな円を見たとたん、「そんなもんが教育やったら、教育なんか受けたくもしたくもないわ!」と思い、さっさと教室を出て二度とその授業は受けませんでした。(ただ必修なので試験だけは受けて、単位は取りました) 「自分は何を大切にし、どこを伸ばしてどんな力を身に付けたいのか?」 「自分はどんな人達と、どこでどんな繋がりを持って生きて行こうとしているのか?」 僕にとっては、一度答えを出してもまた迷い、40過ぎても問い直し続ける難問です。 |
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つづく | ||
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