Top Pageへ戻る

考えるヒントのお蔵  性と文化の棚  第1番
コスメティックセラピー  化粧の効用

様々な動物が毛や羽を手入れし、異性を求める行動を見ていると、ヒトの化粧の歴史も、ヒトがヒトとしての自覚を持つもっと以前から行われてきたに違いありません。ヒトが生み出した「文化」の歴史をたどるならば、そこに多種多様な化粧と装飾、あるいは裸体の変容と継続を見ることができます。

この十数年をとってみても、服飾とともに化粧のあり方が時代を映してきました。「知的な自然志向や女性解放」の流れの中で、女性の化粧やコルセット・ガードル・ブラジャーなどに代表される矯正下着について否定的な声が上がった時期もあります。

男性と対等に社会で活躍したいという女性たちが、女性性を排除し、あるいはそれを武器にする上で眉を太く描いたり細くそったりしてきました。

その一方で「はじけた女子高生」のガングロや茶髪が目をひく風俗として生まれ、男性の化粧も一つの文化として再び認知されつつあります。それらを「自然じゃない」「男のくせに」という目でしか見られないのは、「常識」という名の保守性、精神の貧しさを表すのかもしれません。

そして今。長引く不況や悲惨な事件がちまたにあふれる世相の中で、「癒し」がブームとなり、化粧の効用が再認識されつつあります。

その最先端にあるのが「コスメティックセラピー」。それも、化粧から遠ざけられていた高齢者の「人間性回復」の手立てとして位置づけられてきたのが新鮮です。

また、フェイシャルセラピストのかづきれいこさんは2003年3月11日付毎日新聞の紙上で、顔の傷を苦に自殺した若い女性の例を挙げ、「よく『顔より心だ』っとか『命が助かったんだから顔ぐらいいいじゃないか』と言うけど、顔でも人は死ぬんです。」「隠すだけでは、心の傷は癒せない。完全に隠せなくても、いつでもきれいにメイクできる自信がつくと、傷が気にならなくなり、素顔を受け入れられるようになる。『その時が本当の社会復帰なんです』。」と語っておられます。

「中学生らしさ」「高校生らしさ」という仮面をかぶらせ、化粧を禁ずる生徒指導ではなく、自己表現の一つとして化粧の文化を学べる環境を作ることこそが、「教育の荒廃」から抜け出す道なのかもしれませんね。

とはいうものの、マニュアル化された化粧法で「個性を出す」事を求める少女や、化粧で他の子との差を競い合う母親の心理には、どうも共感できませんが……

図書紹介
サイト紹介
記事紹介
考えるヒントのお蔵  明日の教育の棚
中・高校生には「制服は不可欠」で、「茶髪・ピアスは不相応」なの?
へもどうぞ
茶髪・ピアスを考えるシリーズ 第8回  「化粧の力と学校の力」へはこちらから
性と文化の棚の目録にもどる