メイン » » » 常葉恵子
ときわ けいこ

常葉恵子

ときわ けいこ

1927(昭和2)〜 2003.8.5(平成15)

昭和・平成期の小児看護学者

埋葬場所: 15区 1種 3側 4番
〔聖路加国際病院禮拝堂附属墓碑〕

 北海道札幌市出身。聖路加女子専門学校厚生科卒業。1948(S23)研究科修了。聖路加国際病院勤務後、愛知県立看護短期大学教授を経て、'73 聖路加看護大学教授に就任。小児看護学者として活動。
 '88 聖路加看護大学は日本で初めて博士課程を設置。その際、学部長 兼 研究科長に就任。聖路加国際大学 8代目校長。
 1990年代に入ると、少子高齢化社会に向かって国及び職能団体による一県一看護大学構想が打ち出され、全国各地に設立された看護系大学に看護出身の学長が次々に誕生するようになる。この影響で聖路加国際大学でも医師ではない看護出身の学長をという強い要望が出され、'98(H10)常葉恵子が第3代学長に選出された。
 学長就任後は、新校舎建設、二号館取得、二一世紀COE採択、看護実践開発研究センターの発足に尽力。2003 米国ハワイ州ホノルルにて水難事故に遭い、学長在任のまま急逝。享年76歳。葬儀は日本基督改革派東京恩寵教会で執り行われた。

<聖路加看護教育のあゆみ>
<訃報記事>


墓所

*墓石正面「聖路加国際病院禮拝堂附属墓碑」。「正面左」に30名、「左面」に4名、「正面右」に30名、「右面」に8名(2023.7現在)の名前が刻まれている。「右面」の上から二番目の一番右に「常葉恵子」と刻む。

*この聖路加国際病院の墓所には聖路加国際病院に尽力された医師や看護師など著名な方々が多く眠る。


正面左 (←クリックで拡大)
<正面左>
日野原重明の他に著名な人物は、上林敬吉(日本聖公会の信徒建築家)、ミセス・セント・ジョンアリス・C・セントジョン:聖路加国際病院附属高等看護婦学校開設・初代校長、聖ルカの母)、小篠暉(聖路加国際病院麻酔科医)、菅原虎彦(4代目 聖路加国際病院長)、瀧野賢一(慈恵医大・ 聖路加気食科医師)、湯槇ます(看護婦・総婦長・日本看護協会長)、関武矩(聖路加事務長、広報部長、チャペルの聖歌隊長)、高橋シュン(聖路加の看護の象徴)、竹田眞二(牧師・司祭)


左面
<左面>
内田卿子(聖路加同窓会名誉会長 看護師・教育者)、松谷美和子(国際医療福祉大学看護学部長、聖路加国際大学教授、聖路加看護学会理事長)


正面右 (←クリックで拡大)
<正面右>
久保徳太郎(3代目聖路加国際病院理事長・2代目 聖路加国際病院長・聖路加国際大学 3代目校長)、久保いよ(看護教育者)、橋本寛敏(3代目聖路加国際病院長)、中村徳吉(聖路加病院外科医長、臨床外科医学会の権威)、平賀稔(聖路加病院皮膚科医長)、糸井一良(看護學講座 婦人科學教授)、上中省三(外科部長)、栗田静枝(聖路加国際病院診療記録管理主任)、松下和子(看護師・教育者)、野辺地篤郎(5代目 聖路加国際病院長)


右面 (←クリックで拡大)
<右面>
湯本きみ(看護師・教育者)、松岡美久里(看護師・教育者)、檜垣マサ(看護師・教育者)、久城孝(実務)、常葉恵子(聖路加国際大学 8代目校長 小児看護学)


関連リンク:



| メイン | 著名人リスト・た | 区別リスト |
このページに掲載されている文章および画像、その他全ての無許可転載を禁止します。