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たけだ しんじ

竹田眞二

たけだ しんじ

1896(明治29)〜 1978.1.25(昭和53)

昭和期の牧師、司祭

埋葬場所: 15区 1種 3側 4番
〔聖路加国際病院禮拝堂附属墓碑〕

 霊名はペテロ。築地三一神学校卒業後、聖路加国際病院勤務。1927(S2)より司祭職となり生涯を聖路加に捧げた。
 '36 現在のチャペルが聖別され、以後、竹田により礼拝が守られた。定年退職し聖路加国際病院名誉牧師。定年後も聖路加チャペルの嘱託司祭として活動を継続し、58年間、聖路加国際病院のチャプレンとして重責を果たされた。
 腹部動脈瘤破裂のため急逝。享年81歳。3日後(1.28)に告別式が聖路加国際病院聖路加礼拝堂にて井原司祭の司式、大久保直道主教の説教で行われ、聖歌隊は「 I know that my redeemerlives (J.M.Bach)」を奉唱した。
 長男は聖公会神学院校長や日本聖公会首座主教を務めた竹田眞(まこと・ヨハネ:1930-2021.9.13)。


墓所

*墓石正面「聖路加国際病院禮拝堂附属墓碑」。「正面左」に30名、「左面」に4名、「正面右」に30名、「右面」に8名(2023.7現在)の名前が刻まれている。「正面左」の上から四番目の右から二番目に「竹田眞二」と刻む。

*この聖路加国際病院の墓所には聖路加国際病院に尽力された医師や看護師など著名な方々が多く眠る。


正面左 (←クリックで拡大)
<正面左>
日野原重明の他に著名な人物は、上林敬吉(日本聖公会の信徒建築家)、ミセス・セント・ジョンアリス・C・セントジョン:聖路加国際病院附属高等看護婦学校開設・初代校長、聖ルカの母)、小篠暉(聖路加国際病院麻酔科医)、菅原虎彦(4代目 聖路加国際病院長)、瀧野賢一(慈恵医大・ 聖路加気食科医師)、湯槇ます(看護婦・総婦長・日本看護協会長)、関武矩(聖路加事務長、広報部長、チャペルの聖歌隊長)、高橋シュン(聖路加の看護の象徴)、竹田眞二(牧師・司祭)


左面
<左面>
内田卿子(聖路加同窓会名誉会長 看護師・教育者)、松谷美和子(国際医療福祉大学看護学部長、聖路加国際大学教授、聖路加看護学会理事長)


正面右 (←クリックで拡大)
<正面右>
久保徳太郎(3代目聖路加国際病院理事長・2代目 聖路加国際病院長・聖路加国際大学 3代目校長)、久保いよ(看護教育者)、橋本寛敏(3代目聖路加国際病院長)、中村徳吉(聖路加病院外科医長、臨床外科医学会の権威)、平賀稔(聖路加病院皮膚科医長)、糸井一良(看護學講座 婦人科學教授)、上中省三(外科部長)、栗田静枝(聖路加国際病院診療記録管理主任)、松下和子(看護師・教育者)、野辺地篤郎(5代目 聖路加国際病院長)


右面 (←クリックで拡大)
<右面>
湯本きみ(看護師・教育者)、松岡美久里(看護師・教育者)、檜垣マサ(看護師・教育者)、久城孝(実務)、常葉恵子(聖路加国際大学 8代目校長 小児看護学)


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