静岡県出身。早くから東京都中央区に居住し同地域の聖路加国際病院で手伝いをしていた。
1945(S20)同院に入職し、当時の病院長の橋本寛敏(同墓)の取り計らいにより、'54 米国カリフォルニア州にあるヘリックメモリアル病院診療記録ライブラリアン学校に特別学生として入学した。同校では約1年間、診療記録の管理手法を学び、修了後は職能団体の年次総会へも出席する等、学校教育、学術・研修活動を直接経験した。
'56 帰国し、聖路加国際病院診療記録管理主任として復職。診療記録管理室を創設し、疾病統計、手術統計作成といった診療情報管理の原点的業務を開始した。この頃、院内資料として『病歴管理』、『研修医の手引き』内の「Summary Note について」を執筆し、院内での普及と教育の役割を担った。また、外来診療記録について研修するため、'66 再び短期間渡米した。
診療情報管理(旧称は診療録管理)とは、質の高い診療記録の作成を通じて診療情報を適切に収集、活用し、医学・医療の質向上、医療機関の効率的経営、医療安全の向上等を目指す専門分野である。19世紀後半から 20世紀初頭にかけ米国で誕生し、日本には第二次世界大戦後にもたらされた。そして日本で初めて米国の学校で診療情報管理教育を受け、現在の日本の診療情報管理の礎を築き上げたのが栗田である。
'67 日本病院協会(日本病院会)に病歴研究会が設置される。これは実務者の技術向上を目的としており、栗田はその企画、運営にあたった。この時期の栗田は院内での診療情報管理普及に留まらず、研修会開催、日本病院会診療録管理通信教育委員会委員等を務め、診療情報管理の幅広い教育活動を展開した。
'74 初の職能団体である日本診療録管理士協会(日本診療情報管理士協会)を発足させ、初代会長に就任。会長就任後、協会誌『メディカルレコード』を創刊し初代発行人となる。職能団体設立後は、米国の診療録管理業務視察、日本の診療録管理学会に米国から講師の招聘を複数回行い、また厚生大臣に診療録管理士の資格制度確立について要望書を作成するなど国際活動と地位向上にも精力的に関わった。
'90(H2)築いた財産を基に公益信託栗田静枝診療録管理普及基金を設立。晩年は日本診療録管理士協会顧問、東京都病院協会診療録検討特別委員会(診療情報管理委員会)委員を務める等、領域の発展に寄与すると同時に、基金の活動を通じ後進の教育にも力を注いだ。没する直前まで聖路加国際大学で開催される年次研修会にはできる限り出席した。享年92歳。
日本には現在 3 万人以上の診療情報管理士有資格者がいる。1名の実務者養成から始まった診療情報管理だが、長い年月をかけて多くの理解者、協力者のもと発展をとげ、現在では医学医療、医療経営に不可欠な領域となった。この礎をつくった栗田静枝は我が国の診療情報管理の開拓者と称されている。