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せき たけのり

関 武矩

せき たけのり

?〜 2011.8.9(平成23)

昭和・平成期の病院管理者、聖歌隊長

埋葬場所: 15区 1種 3側 4番
〔聖路加国際病院禮拝堂附属墓碑〕

 霊名はリチャード。1959.4(S34)聖路加国際病院に入社。以降、2000.4.4(H12)までの41年間の永年に渡り勤務。最初は秘書課に勤務し、病院の人事なども担当。
 '61.8.31 当時の我が国の病院管理は未だ稚拙で、病院管理者を欧米先進国並みに管理の専門家が担当すべきだという気運が盛んであり、当時の厚生省は「病院経営管理改善懇談会」を組織し、その「懇談要旨」を発表。専門的病院管理者を養成すべく「国立病院管理研究所」(国立保健医療科学院)を設けて養成を行った。同.10 関は研究所の「昭和三六年度 病院管理研修会」に参加し、病院管理について専門的に学ぶ。
 '73 IHF(国際病院連盟)主宰でロンドンにある英国王立病院管理研修所で行われた病院管理研修を受講。その内容について、聖路加国際病院広報誌「明るい窓」昭和四十八年八月二十五日号から翌年の九月二十五日号まで19回に渡り連載した。
 その後、秘書課長、総務会長、新病院建設相談室渉外部長、事務長、広報部長を歴任。定年退職後は、株式会社聖路加サービスセンター代表取締役に就任。また初代チャペルの聖歌隊長として活動し、定年と伴に隊長勇退後は名誉隊長として聖歌隊活動に引き継き参加し、長年チャペル委員会に携わった。

<「関武矩さん 思い出の記」ペテロ 内藤均 
聖路加チャペルニュース 第224号 2022/10/2>


墓所

*墓石正面「聖路加国際病院禮拝堂附属墓碑」。「正面左」に30名、「左面」に4名、「正面右」に30名、「右面」に8名(2023.7現在)の名前が刻まれている。「正面左」の一番下の段の一番右に「関武矩」と刻む。

*この聖路加国際病院の墓所には聖路加国際病院に尽力された医師や看護師など著名な方々が多く眠る。


正面左 (←クリックで拡大)
<正面左>
日野原重明の他に著名な人物は、上林敬吉(日本聖公会の信徒建築家)、ミセス・セント・ジョンアリス・C・セントジョン:聖路加国際病院附属高等看護婦学校開設・初代校長、聖ルカの母)、小篠暉(聖路加国際病院麻酔科医)、菅原虎彦(4代目 聖路加国際病院長)、瀧野賢一(慈恵医大・ 聖路加気食科医師)、湯槇ます(看護婦・総婦長・日本看護協会長)、関武矩(聖路加事務長、広報部長、チャペルの聖歌隊長)、高橋シュン(聖路加の看護の象徴)、竹田眞二(牧師・司祭)


左面
<左面>
内田卿子(聖路加同窓会名誉会長 看護師・教育者)、松谷美和子(国際医療福祉大学看護学部長、聖路加国際大学教授、聖路加看護学会理事長)


正面右 (←クリックで拡大)
<正面右>
久保徳太郎(3代目聖路加国際病院理事長・2代目 聖路加国際病院長・聖路加国際大学 3代目校長)、久保いよ(看護教育者)、橋本寛敏(3代目聖路加国際病院長)、中村徳吉(聖路加病院外科医長、臨床外科医学会の権威)、平賀稔(聖路加病院皮膚科医長)、糸井一良(看護學講座 婦人科學教授)、上中省三(外科部長)、栗田静枝(聖路加国際病院診療記録管理主任)、松下和子(看護師・教育者)、野辺地篤郎(5代目 聖路加国際病院長)


右面 (←クリックで拡大)
<右面>
湯本きみ(看護師・教育者)、松岡美久里(看護師・教育者)、檜垣マサ(看護師・教育者)、久城孝(実務)、常葉恵子(聖路加国際大学 8代目校長 小児看護学)


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