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うちだ けいこ

内田卿子

うちだ けいこ

1928(昭和3)〜 2021.12.13(令和3)

昭和・平成期の看護師、婦長

埋葬場所: 15区 1種 3側 4番
〔聖路加国際病院禮拝堂附属墓碑〕

 東京出身。熊谷高女を卒業後、1949(S24)東京看護教育模範学院(聖路加女子専門学校)卒業。GHQのアメリカ人講師が通訳付きの講義を受講。卒業後、一年間、聖路加国際病院で臨床経験を積んだ後、'50 下関にある梅光女学院高校の保健の教諭として赴任。また衛生管理も合わせて行った。
 '54 看護主任として聖路加国際病院に迎えられ、'56 婦長に抜擢された。その後、総婦長、副院長、理事、聖路加看護大学評議員、学校法人聖路加国際大学 評議員を務めた。
 社会的活動も看護協会、日本病院協会等の看護に関する委員なども務めた。特に、'80 日本病院会理事会の唯一人のナースの参与 聖路加国際病院総婦長として活動した。また聖路加同窓会会長としても活動し、退任後は聖路加同窓会名誉会長。
 '80「老人看護シリーズ」の『疾患をもつ老人の看護』『老人看護の基本技術』『老人看護総論』や、'92『医療事故−その予防と対策』、2000『POSの導入と実際−7病院の導入経過』などを著した。『新しい看護マニュアル これからのケア』などの共著もある。聖ルカ礼拝堂 信徒。享年93歳。

<聖路加同窓会 訃報記事>
<病院 39巻7号「日本病院会理事会の唯一人のナースの参与聖路加国際病院総婦長 内田卿子さん」(1980年7月発行)>


墓所

*墓石正面「聖路加国際病院禮拝堂附属墓碑」。「正面左」に30名、「左面」に4名、「正面右」に30名、「右面」に8名(2023.7現在)の名前が刻まれている。「左面」の一番上の段の右から三番目に「内田卿子」と刻む。

*この聖路加国際病院の墓所には聖路加国際病院に尽力された医師や看護師など著名な方々が多く眠る。


正面左 (←クリックで拡大)
<正面左>
日野原重明の他に著名な人物は、上林敬吉(日本聖公会の信徒建築家)、ミセス・セント・ジョンアリス・C・セントジョン:聖路加国際病院附属高等看護婦学校開設・初代校長、聖ルカの母)、小篠暉(聖路加国際病院麻酔科医)、菅原虎彦(4代目 聖路加国際病院長)、瀧野賢一(慈恵医大・ 聖路加気食科医師)、湯槇ます(看護婦・総婦長・日本看護協会長)、関武矩(聖路加事務長、広報部長、チャペルの聖歌隊長)、高橋シュン(聖路加の看護の象徴)、竹田眞二(牧師・司祭)


左面
<左面>
内田卿子(聖路加同窓会名誉会長 看護師・教育者)、松谷美和子(国際医療福祉大学看護学部長、聖路加国際大学教授、聖路加看護学会理事長)


正面右 (←クリックで拡大)
<正面右>
久保徳太郎(3代目聖路加国際病院理事長・2代目 聖路加国際病院長・聖路加国際大学 3代目校長)、久保いよ(看護教育者)、橋本寛敏(3代目聖路加国際病院長)、中村徳吉(聖路加病院外科医長、臨床外科医学会の権威)、平賀稔(聖路加病院皮膚科医長)、糸井一良(看護學講座 婦人科學教授)、上中省三(外科部長)、栗田静枝(聖路加国際病院診療記録管理主任)、松下和子(看護師・教育者)、野辺地篤郎(5代目 聖路加国際病院長)


右面 (←クリックで拡大)
<右面>
湯本きみ(看護師・教育者)、松岡美久里(看護師・教育者)、檜垣マサ(看護師・教育者)、久城孝(実務)、常葉恵子(聖路加国際大学 8代目校長 小児看護学)


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