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のべち とくろう

野辺地篤郎

のべち とくろう

1919(大正8)〜 2008.6.6(平成20)

昭和・平成期の放射線医学者

埋葬場所: 15区 1種 3側 4番
〔聖路加国際病院禮拝堂附属墓碑〕

 父の野辺地慶三は国立公衆衛生院教授を務めた伝染病学者。母は鹿島組組長の鹿島岩蔵の庶子の木九。長男として生まれる。弟の野辺地恒雄は三菱瓦斯化学の重役、三菱エンジニアリングプラスチック社長を務めた実業家。
 千葉医科大学医学部卒業。東京帝国大学助手を経て、1950(S25)より聖路加国際病院放射線科に勤務。'57 放射線科医長、'79 副院長を経て、'80.9 第5代 聖路加国際病院長に就任。礼拝堂にある2077本ものパイプを備えた大きなパイプオルガンの設置(設置日:1988)に尽力した。1986.2 院長を退任し、顧問となる。
 聖路加国際病院名誉医長、日本医学放射線学会名誉会員。間質性肺炎にて逝去。享年88歳。妻は芳井一夫の長女の澄子。

<聖路加看護教育のあゆみ>
<人事興信録>


墓所

*墓石正面「聖路加国際病院禮拝堂附属墓碑」。「正面左」に30名、「左面」に4名、「正面右」に30名、「右面」に8名(2023.7現在)の名前が刻まれている。「正面右」の一番下の段の左から三番目に「野辺地篤郎」と刻む。

*この聖路加国際病院の墓所には聖路加国際病院に尽力された医師や看護師など著名な方々が多く眠る。


正面左 (←クリックで拡大)
<正面左>
日野原重明の他に著名な人物は、上林敬吉(日本聖公会の信徒建築家)、ミセス・セント・ジョンアリス・C・セントジョン:聖路加国際病院附属高等看護婦学校開設・初代校長、聖ルカの母)、小篠暉(聖路加国際病院麻酔科医)、菅原虎彦(4代目 聖路加国際病院長)、瀧野賢一(慈恵医大・ 聖路加気食科医師)、湯槇ます(看護婦・総婦長・日本看護協会長)、関武矩(聖路加事務長、広報部長、チャペルの聖歌隊長)、高橋シュン(聖路加の看護の象徴)、竹田眞二(牧師・司祭)


左面
<左面>
内田卿子(聖路加同窓会名誉会長 看護師・教育者)、松谷美和子(国際医療福祉大学看護学部長、聖路加国際大学教授、聖路加看護学会理事長)


正面右 (←クリックで拡大)
<正面右>
久保徳太郎(3代目聖路加国際病院理事長・2代目 聖路加国際病院長・聖路加国際大学 3代目校長)、久保いよ(看護教育者)、橋本寛敏(3代目聖路加国際病院長)、中村徳吉(聖路加病院外科医長、臨床外科医学会の権威)、平賀稔(聖路加病院皮膚科医長)、糸井一良(看護學講座 婦人科學教授)、上中省三(外科部長)、栗田静枝(聖路加国際病院診療記録管理主任)、松下和子(看護師・教育者)、野辺地篤郎(5代目 聖路加国際病院長)


右面 (←クリックで拡大)
<右面>
湯本きみ(看護師・教育者)、松岡美久里(看護師・教育者)、檜垣マサ(看護師・教育者)、久城孝(実務)、常葉恵子(聖路加国際大学 8代目校長 小児看護学)


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