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水上滝太郎 |
みなかみ たきたろう | |
1887(明治20)〜 1940(昭和15) | |
明治・大正・昭和期の小説家、評論家 | |
埋葬場所: 5区 1種 16側 6番 阿部家之墓・右から2番目 | |
実業家阿部泰蔵の4男。本名阿部章蔵。1911(M44)慶大在学中、三田文学に処女作「山の手の子」を発表、三田派新進作家として知られた。 12(T1)米国留学。経済学を学び16帰国。以後父の創立した明治生命保険会社に勤務。25休刊中の三田文学を復刊。 多くの作品の執筆や後進の指導、また18〜40(T7〜S15)「貝殻追放」と題する評論・随筆を書き続けた。 健全なモラリストの精神に貫かれた作風で、生涯実業家と文学者の二重生活を続けた。代表作に「その春の頃」「心づくし」「大阪」「大阪の宿」など。 <コンサイス日本人名事典>
*「阿部家之墓」と刻んだ一族7基がそれぞれの入口と階段を持ち、横一列に並んでいる。明治生命創業者一族の墓所で滝太郎の墓は向かって右から二番目。
正面に「阿部家之墓」裏に「昭和十五年五月阿部優蔵建之」と刻むのみで水上滝太郎・阿部章蔵の名もない。阿部家一族の右隣に、2基保野家がある。これは滝太郎の母親の阿部優子の生家である保野家墓所である。
右側が保野景蔵、左が優子の父親の保野景明の墓所。保野景明は別名が俣野市郎右衛門と言い、戊辰戦争で活躍。従七位。 | |
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