歴史が眠る多磨霊園 |
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俣野時中 | |
またの ときなか | |
1857.4.4(安政4)〜 1912.4.21(明治45) | |
明治期の教育者 | |
埋葬場所: 8区 1種 9側 | |
山形県士族。庄内藩士の俣野景敏の次男として鶴岡家中新町で生まれる。1866(慶応2)藩校致道館で学び、1869(M2)大泉藩知事となった酒井忠宝の陪学生に選ばれる。
1872松ケ岡、黒川の開墾事業に参加。1876上京し、司法省法学校第二期組で法律経済を学ぶ。5年前の1871西村時叙の養子となり、西村時中と名乗っていたが、在学中に離縁して元の俣野姓に戻った。
二期生たちは、ふるいにかけられ、最終的に卒業時には100名から37名に減る。俣野は最後の45名に残ったものの、修了資格を得るところまでは行かず、学籍簿では「中退」とされている。 <庄内人名事典>
*墓石正面は「俣野時中之墓」。裏面に「昭和九年四月建之」。墓誌があり、子の俣野第四郎などの名が刻む。 | |
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