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あべ せいじ

阿部泰二

あべ せいじ

1880.4(明治13)〜 ?

明治・大正・昭和期の銀行家

埋葬場所: 5区 1種 16側 7番

 東京出身。明治生命創業者の阿部泰蔵と優子(共に1-1-2-11)との2男。養祖父は蘭方医、歌人の阿部三圭(1-1-2-11)、腹違いの兄に実業家の阿部圭一(1-1-2-11)、弟に作家の水上滝太郎(5-1-16-6)、柔道家・実業家の阿部英児(5-1-16-3)。甥に歌舞伎研究家・演劇評論家の阿部優蔵(5-1-16-6)。1885(M18)分家。
 東京帝国大学法科大学政治科卒業後、日本銀行に入行。秘書役を経て、1928(S3)紐育(ニューヨーク)代理店監督役を務めた。'31.2 第14代 日本銀行名古屋支店長(栄町営業所)を経て、'32.1.20 第14代 日本銀行大阪支店長に就任。その後、日本銀行文書局長などを歴任した。
 '38 帝国燃料興業理事、三菱石炭油化工業などの重役も務めた。

<人事興信録>


*墓石前面「阿部家之墓」、裏面「昭和十七年五月建之」。墓石にそれ以外の刻みがなく、墓誌もない。妻は玉枝子。長男は阿部泰介(1913生)。

*玉枝子は陸軍中将の古川宣誉の4女。玉枝子の兄で満鉄役員の古川武太郎の養子が喜劇役者の古川ロッパ(本名は郁郎)。ロッパの実父は男爵の加藤照麿の六男。照麿の妹婿が古川武太郎のため、ロッパは義理の叔父の養子。

*二男の準蔵(1919-2006.11.25)は慶應義塾長などを務めた小泉信三の二女の妙と結婚し婿養子となった(1949)。小泉信三の妻の とみ は泰二の妹。小泉家は3区1種17側3番。長女の櫻子(1911生)は川喜田俊二に嫁いだ。川喜田俊二は明治生命保険入社し、戦後は三重交通取締役、三重トヨペット社長を務めた。二女の桃子(1915生)は山岸成一に嫁いだ。成一は実業家の山岸慶之助の長男で三菱商事の実業家でありテニス選手としても活躍した。

*早死した3男を除いた兄弟7人はそれぞれ分家したため、5区1種16側に阿部家の墓所がそれぞれ七か所、右から生まれた順で並ぶ。泰二の右隣りの墓所は、母の優子の父の俣野景明(5-1-16-8)の墓所。保野景明は別名が俣野市郎右衛門と言い戊辰戦争で活躍した志士で福沢諭吉の門下でもある人物。景明の墓所の右隣りは俣野景蔵(5-1-16-9)の墓所。保野景蔵は明治生命保険の監査役を務めた人物。水上瀧太郎(阿部章蔵)の妻は俣野景蔵の娘(長女)の都で、景蔵の二女の富美(次女)は阿部英児(5-1-16-3)に嫁いでいる。水上瀧太郎の長男で甥にあたるのが歌舞伎研究家・演劇評論家の阿部優蔵(5-1-16-6)。俣野景蔵は俣野景敏(谷中霊園)の三男であり、兄で次男は教育者の俣野時中(8-1-9)。時中の子で甥は洋画家の俣野第四郎(8-1-9)。景蔵の孫の俣野夏男は波多野憲(5-1-16-9)という名で俳優。


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