歴史が眠る多磨霊園 |
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阿部三圭 | |
あべ さんけい | |
1815〜 1867(慶応3.5.15) | |
江戸後期の蘭方医、歌人 | |
埋葬場所: 1区 1種 2側 11番 | |
耶村(引佐郡三ヶ日町)儒医玄岑の長男として生まれる。若くして長崎に留学し、蘭方医術を修めて帰郷。摩訶耶寺門前でその仁術を施し、名声は近郷に広がる。後年、三河(豊橋市)吉田藩主松平伊豆守に召されて藩医として仕え、西洋医学の先達として活躍した。医術学友と協力して、遠江地方に早く種痘を導入した功労者でもある。 <静岡県歴史人物事典021頁>
阿部國子 あべ くにこ <大正過去帳117頁> *正面門入口の近くに広大な敷地を持った「阿部家之墓」が建つ。建立年月日は「大正13年」で泰蔵死後の建立。右側手前に墓誌が建つ。墓誌は阿部三圭から刻みが始まる。阿部國子のところには「泰蔵養母」と刻む。阿部泰蔵は先妻の幾野との間に長男の阿部圭一を儲けたが、先妻と死別後、後妻の優子との間には8男4女を儲けている。長男の圭一と早死した3男の文吉は同墓に眠る。他の男子7人はそれぞれ分家したため、5区1種16側に阿部家の墓所がそれぞれ七か所、右から生まれた順で並ぶ。泰蔵の2男の阿部泰二(5-1-16-7)は銀行家。泰蔵の4男の阿部章蔵は水上瀧太郎(5-1-16-6)の筆名で活躍した作家。7男の阿部英児(5-1-16-3)は柔道家・実業家。なお、同じ列には泰蔵の後妻の優子の父である俣野景明(5-1-16-8)の墓所もある。 | |
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