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あべ さんけい

阿部三圭

あべ さんけい

生年不詳〜 1867(慶応3)

江戸後期の蘭方医、歌人

埋葬場所: 1区 1種 2側 11番

 耶村(引佐郡三ヶ日町)儒医玄岑の長男として生まれる。若くして長崎に留学し、蘭方医術を修めて帰郷。摩訶耶寺門前でその仁術を施し、名声は近郷に広がる。 後年、三河(豊橋市)吉田藩主松平伊豆守に召されて藩医として仕え、西洋医学の先達として活躍した。医術学友と協力して、遠江地方に早く種痘を導入した功労者でもある。
 業績の一つに蘭学算法によって郷里摩訶耶村の新田開発に協力、「岩井の堰」の設計が残されている。また、国学歌道にも執心し、石川依平に入門して本格歌人として精進した。
 明治生命保険会社創立の功労者阿部泰蔵(同墓)の養父。泰蔵は愛知県鳳来町豊田鉱剛の4男、12歳で三圭の養子となる。

<静岡県歴史人物事典021頁>
<五輪塔様より情報提供>


阿部くに (あべ くに)
1829(文政12)〜 1917.1.30(大正6)
阿部三圭(同墓)の妻
 明治生命保険会社長の阿部泰蔵(同墓)の養母。静岡県人、竹村又七の四女。 久しく鎌倉の別邸に病気療養中のところ1917(T6)逝去。葬儀は東京市芝白金下町の松秀寺。

<大正過去帳117頁>
<五輪塔様より情報提供>


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