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はた えいたろう

畑 英太郎

はた えいたろう

1872.7.25(明治5)〜 1930.5.31(昭和5)

明治・大正期の陸軍軍人(大将)

埋葬場所: 6区 1種 16側 3番

 福島県出身。会津藩士・警察官の畑能賢の長男として生まれる。弟は陸軍元帥の畑俊六。妹のタネは牛島実常陸軍中将に嫁いだため義弟。
 東洋英和学校卒業後に三井銀行に入行し、その後に陸軍士官学校に入り直して、1896.5.27(M29)首席で卒業(7期)。同期に緒方勝一(後の大将:4-1-31)、河西惟一(後の中将:16-1-17-55)、川瀬亨(後の陸軍中将:8-1-7-9)、二子石官太郎(後の中将:17-1-10)、大竹澤治(後の少将:2-1-4-14)、中村安喜(後の少将:7-1-2-14)、羽入三郎(後の少将:3-1-3)、壬生基義(後の少将、伯爵:21-1-12-10)らがいる。 1897.1.25歩兵少尉任官。1903.11.28陸軍大学校を優等(恩賜)で卒業(17期)。同期には首席で卒業した渡辺錠太郎(後の大将:12-1-10-15)、林銑十郎(後の大将、首相:16-1-3-5)らがいる。
 近衛歩兵第2連隊中隊長を経て、日露戦争では第1軍兵站副官として出征、同兵站参謀、鴨緑江軍兵站参謀、大本営参謀を務める。 戦後は、参謀本部員、参謀本部附(イギリス差遣)、イギリス大使館付武官補佐官、'10.11.5インド駐剳武官、'12.6.1参謀本武附(欧州出張)と海外に視野を広め、同.12.10(T1)帰朝し、陸軍省軍務局軍事課員となる。
 '16.4.1大佐に昇進し、歩兵第56連隊長に就任。'18.7.24軍務局軍事課長を歴任し、'20.8.10少将に進級して、航空局次長となり、'22.8.10軍務局長に補された。'24.12.20陸軍中将に累進。'26宇垣一成(6-1-12-1)陸相のもとで陸軍次官に抜擢され、同.10.1軍事調査委員長を兼ねる。'28.3.22(S3)免兼。同.8.10第1師団長。
 '29.7.1関東軍司令官となり、張作霖爆殺事件後において手腕が期待され、'30.5.1大将に進級したが、同.5.31現役のまま旅順にて急逝。急性腎臓炎である病死であると公式では発表されたが、毒殺説など諸説あり死因は不明。享年57歳。功4級。

<コンサイス日本人名事典>
<帝国陸軍将軍総覧>
<日本陸軍将官総覧>
<帝国陸軍のリーダー総覧>


墓所

*墓石は和型「陸軍大将 畑英太郎 之墓」、裏面「昭和五年五月三十一日 薨」。左側に墓誌があり、英太郎以降の俗名、歿年月日、行年が刻む。妻は すゑ(S55.9.21歿 行年98)。長男の畑英一(S8.12.26歿 行年28)は陸軍大尉。次男は畑賢二(S61.3.13歿 行年77)。墓所左手前にある水鉢の裏には「第七期士官候補生出身将校會」と刻む。

*畑英太郎・俊六のように兄弟揃っての大将は、皇族を除き、西郷隆盛・従道、大迫尚敏・尚道、鈴木貫太郎・孝雄、百武三郎・源吾がいる。


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