歴史が眠る多磨霊園


みぶ もとよし

壬生基義

みぶ もとよし

1872(明治5)〜 1936(昭和11)

公家、陸軍少将、伯爵

埋葬場所: 21区 1種 12側 10番

 先祖は藤原北家持明院流。園基音の末子・基起を祖とし、江戸時代初期に創立。父の壬生基修は幕末期の七卿落の一人。 新政府で参与となり戊辰戦争では会津征討軍の参謀をつとめ功をなした。また越後府知事、東京府知事をつとめ元老院議員となる。 (基義と同墓なのかは調査中)《M17.7.8子爵からM24.4.23陞爵(伯爵)授爵》
 陸士7、陸大18出身。陸軍騎兵隊。基義夫人篶子(すずこ)は久邇宮朝彦親王の第八女子。 1906(M39)10月28日結婚し皇族と血縁関係になる。22(T11)8月15日少将昇進。 近師司付。翌年予備役。のち侍従武官。息子の基泰は貴族院議員。 今上天皇の第一女子・成子(しげこ)内親王と東久邇宮稔彦王の長男盛厚との間に二男として生まれた基博を、 壬生家の養子として迎え壬生家継承人となる。

<日本の名門1000家(新人物往来社)>

*墓は土饅頭型。基義が埋葬されているということは確実であるが、その他の人物が埋葬されているかに関しては、調査中である。
*青山霊園から改葬。
*壬生基泰(陸軍大尉)は'46(S21)6月〜貴族制度廃止となる'47(S22)5月まで伯爵貴族院議員。



*壬生基義の前妻は壬生総子(みぶもとこ)。
 陸軍編修の横井忠直の長女として生まれる。1897(M30)4月24日に壬生基義に嫁ぐが、翌年の6月7日に没した。 青山墓地に葬られたが多磨霊園に改葬。

<明治過去帳>


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