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みぶ もとなが

壬生基修

みぶ もとなが

1835.3.7(天保6)〜 1906.3.6(明治39)

幕末・明治期の公家、伯爵、知事

埋葬場所: 21区 1種 12側 10番

 先祖は藤原北家持明院流。園基音の末子・基起を祖とし、江戸時代初期に創立。京都出身。堂上公家。庭田重基の三男。壬生道吉の養子。
 尊王攘夷派として活躍、和宮降嫁に尽力した「四奸二嬪」の追放運動をおこなった。1863(文久3)8月18日の政変で、三條実美らと共に七卿の一人として長州に落ち、大宰府に移ったが、王政復古により新政府に参画した。 戊辰戦争では会津征伐の越後口総督府参謀し功をなした。1869(M2)越後府知事。以後、東京府知事、元老院議官、貴族院議員を歴任。1884.7.8(M17)子爵を授爵し、1891.4.23(M24)陞爵(伯爵)授爵。享年72歳。
 子の壬生基義(同墓)が基修没年の10月に久邇宮朝彦親王の第八女子の篶子と結婚したため壬生家は皇族と血縁関係となった。

<五輪塔様より情報提供>


*墓は土饅頭型。青山霊園から改葬。

*埋葬されているか否かは未確認。情報求む。


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