メイン » » » 緒方勝一
おがた かついち

緒方勝一

おがた かついち

1875.1.25(明治8)〜 1960.12.28(昭和35)

明治・大正・昭和期の陸軍軍人(大将)

埋葬場所: 4区 1種 31側

 佐賀県出身。緒方二郎の三男として生れる。成城学校を経て、1896.5.27(M29)陸軍士官学校卒業(7期)。同期に畑英太郎(後の大将:6-1-16-3)、河西惟一(後の中将:16-1-17-55)、川瀬亨(後の陸軍中将:8-1-7-9)、二子石官太郎(後の中将:17-1-10)、大竹澤治(後の少将:2-1-4-14)、中村安喜(後の少将:7-1-2-14)、羽入三郎(後の少将:3-1-3)、壬生基義(後の少将、伯爵:21-1-12-10)らがいる。1897.1.25 砲兵少尉任官。東京湾要塞砲兵連隊付となる。
 1900.12 陸軍砲工学校高等科を卒業。軍事研究のために渡仏しフランス駐在。帰朝後は陸軍士官学校教官となる。日露戦争では第4軍副官として出征した。
 その後、技術審査部勤務、重砲兵第2連隊付を務める。'14(T3)第一次世界大戦における青島の戦いでは、独立攻城重砲兵第2大隊長として出征した。'15 技術審査部付としてフランスに出張し、欧州戦線のフランス軍に観戦武官として従軍。'16.9.27 大佐に進み、陸軍歩兵学校研究部員を経て、'19.4.15 技術本部第1部長に就き、'20.8.10 少将に昇進。
 '23.8.6 陸軍重砲兵学校長、次いで、'24.2.4 砲工学校長、同.12.15 陸軍科学研究所長を務めた。'25.5.1 中将に累進。欧米出張後、'28.3.8(S3)陸軍造兵廠長官に補された。'31.8.1 大将に親任され、技術本部長に着任。'34.8.1 予備役に編入された。
 吉田豊彦(9-1-8)大将に次ぐ技術出身の偉才と称された。正3位 勲1等 功4級。享年85歳。

<帝国陸軍将軍総覧>
<日本陸海軍総合事典>
<歴史と旅 帝国陸軍のリーダー総覧>
<人事興信録>


*前面「緒方家霊塔」。左側に墓誌が建つ。緒方勝一の戒名は「俊勝院一道香翁居士」、行年は86才と刻む。妻は志げ乃(S57.3.25没・行年94才:白壽院麗室貞鑑大姉)。志げ乃は日本初の百貨店をつくった三越呉服店会長の日比翁助の長女。長男の緒方太郎(T8-H15.12.8:大器院湊岳賢道居士)は日本銀行理事や千葉銀行頭取を務めた銀行家。太郎の妻は照子(R5.1.7没・行年96才:壽光院梅雪妙照大姉)。照子は電気化学工業取締役の日比勝治の二女。日比勝治は日比翁助の長男であり、太郎の母の志げ乃の兄。

*義父の日比翁助の墓は祥雲寺(東京都渋谷区広尾)


関連リンク:



| メイン | 著名人リスト・あ | 区別リスト |
このページに掲載されている文章および画像、その他全ての無許可転載を禁止します。