中国上海出身。父方祖父は大蔵官僚・政治家の土屋大次郎。母方曽祖父は渋沢栄一、母方祖父は男爵の園田安賢。第一ホテル創業者の土屋計左右、喜久子(共に同墓)の長男として、父が三井銀行上海支店長をしていた時に生まれる。伯父は大蔵官僚の金子隆三(10-1-10)。金子隆三の養父は政治家の金子元三郎(10-1-10)。
1944(S19)東京商科大学(一橋大学)を学徒出陣('43.10.21出陣学徒壮行会)のため卒業。同.2.1 海軍主計科短期現役第11期として海軍経理学校入校し、同.9.1 卒業。'45.8.15 高松の海軍部で終戦を迎えた。戦後、'46 日本銀行に入行。フルブライト第1期生で渡米し、ハーバード大学大学院に留学した。
'61 父が創業した第一ホテルに転じて取締役となり、'62 常務、'66 父の後任として社長に就任した。'66日本交通公社取締役、'72 東宝監査役を兼ねた。'77 社団法人日本ホテル協会会長(9代目)を務めた。'82 会長に就任。'85 藍綬褒章。'86 土屋計雄奨学基金を開設した。享年67歳。'89.7.19 社葬が営まれた。
*墓石は和型「土屋家之墓」、裏面「昭和廿五年十月十六日 土屋計左右建之 西川寧書丹」と刻む。右側に墓誌が建つ。父の土屋計左右の戒名は誠信院晃堂俊英大居士。母の冨美子(1899.8-1974.1.24)、戒名は妙證院計室貞冨清大姉。自身には戒名は刻まれていない。同墓には弟(二男)土屋晃雄(1924.3-2010.5.29:戒名は刻まれていない:第一ホテル不動産取締役や第一ホテルエンタープライズ監査役を務めた)と、弟(三男)土屋英雄(1925.7-1946.10.16:戒名は徹心院英山道雄居士:墓誌の最初に刻む)も眠る。
*土屋計雄の妻の喜久子は第一銀行頭取を務めた明石照男の三女。明石照男の妻の愛子の父は渋沢栄一。長女の典子は外交官の河野雅治に嫁ぐ。二女の幸子は昭和天皇の孫にあたる壬生基博に嫁いだ。基博の実父は東久邇盛厚、養父は伯爵議員の壬生基泰。基泰の父は公家の伯爵の壬生基義(21-1-12-10)である。
【その後の第一ホテル】
当時の最新鋭も時代遅れとなり、老朽化も出てきたため、1989.7.1(H1)内幸町に完成した東京生命本社ビルに「第一ホテルアネックス」を開業させると共に、新橋第一ホテル本館を閉鎖した。次いで、1992.12.1(H4) 新橋第一ホテル新館も閉鎖し、新橋における第一ホテルは54年間の歴史に幕を閉じた。なお、跡地には地上21階、地下3階建ての「第一ホテル東京」を再開業(1993.4.21)。
「第一ホテル」のブランドで全国にチェーン展開、海外にも進出、マンション事業も展開していたが、2000.4(H12)株式会社第一ホテルは、3月期決算で230億円の債務超過をし、銀行からも融資を取り付けられず資金繰りに行き詰まり、同.5.26 会社更生法の適用を申請、負債総額1152億円で経営破綻した。その後は阪急電鉄が子会社として出資し、2002.4.1 阪急電鉄傘下の阪急ホテルズに吸収合併させ「第一阪急ホテルズ」となった。
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