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もり へいた

森 平太

もり へいた

1924(大正13)〜 2012.3.6(平成24)

昭和・平成期の出版人、神学者

埋葬場所: 11区 1種 16側 17番
(信濃町教会員墓)

 高知県出身。本名は森岡巌(もりおか いわお)。東京大学法学部政治経済学科卒業。卒業後、1949(S24)長崎次郎(同墓)が社長を務めている新教出版社に入社。「福音と世界」編集長。'78 秋山憲兄(10-1-13)から引き継ぎ、新教出版社社長に就任した。秋山憲兄は会長となる。2002(H14)社長を辞任。2006(H18)退職。
 キリスト教出版界の第一線で長く活躍し、森平太の筆名でキリスト教界からの発信に尽力した。また篤実な信徒として日本における告白的な教会の形成を祈り求めた。高倉徳太郎論、戦責論、教団論、吉田満論、特にわが国におけるボンヘッファー紹介の先駆者としても知られる。
 著書に『服従と抵抗への道 ボンヘッファーの生涯』(1964)。森岡巌名義の共編著に『キリスト教の戦争責任 日本の戦前・戦中・戦後』(笠原芳光:1974)、『罪責を担う教会の使命』(雨宮栄一:1987)、『日本基督教団50年史の諸問題』(雨宮栄一:1992)『井上良雄研究 「世のための教会」を求めて』(雨宮栄一、小川圭治:2006)がある。翻訳も多数あり、バルト神学の他、ボンヘッファーも多く訳した。
 脳溢血のため逝去。享年87歳。没3日後に葬儀は信濃町教会で行われた。司式は同教会牧師の稲垣千世。喪主は妻の恵子。

<著者略歴>
<訃報記事など>


墓所 墓所 墓所
墓誌 右 墓誌 右側 (*クリックで拡大)
墓誌 中央 墓誌 中央(*クリックで拡大)
墓誌 左 墓誌 左側(*クリックで拡大)

*墓石正面「信濃町教會員墓」。左側に墓誌が三基建つ。森平太は本名の森岡巌として左の墓誌の下の段右から五番目「森岡 巌 二〇一二 三 六」と刻む。

*「信濃町教會員墓」には、創立者で牧師の高倉徳太郎、高倉を支え「韓国の恩人」と称された教育家の桝富安左衛門、新教出版社初代社長の長崎次郎、3代目信濃町教会牧師で聖書学者の山谷省吾、心理学者の細木照敏、作家の仲町貞子(井上奥津)、詩人の石原吉郎(以上・右の墓誌に刻む)、教育者の仁藤友雄、2代目・4代目信濃町教会牧師の福田正俊、物理有機化学者の高橋詢(以上・真ん中の墓誌に刻む)、建築家で建築学者の外山義、神学者で文芸評論家の井上良雄、宗教学者で哲学者の宮本武之助、キリスト教学者の小川圭治(以上・左の墓誌に刻む)らも同墓に眠る。


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