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みやもと たけのすけ

宮本武之助

みやもと たけのすけ

1905(明治38)〜 1997.3.6(平成9)

昭和・平成期の宗教学者、哲学者

埋葬場所: 11区 1種 16側 17番
(信濃町教会員墓)

 宮城県仙台出身。弟は東京女子大学教授や宗教部長を務めた宮本信之助。
 東京帝国大学哲学科卒業。高倉徳太郎(同墓)が牧した信濃町教会の会員で、高倉が校長をしていた日本神学校で宗教哲学を教えた。以来、東京神学大学で長く宗教哲学を講じた。後に第6代 東京神学大学理事長に就任した。
 '42、'43 戦時中のYMCAの学生たちの夏季学校に聖書研究の講師を務める。'46 戦後間もない時期に東山荘で開催された「全国学生基督者協議会」(第55回夏季学校)でも聖書研究を担当した。'47 東山荘で毎年春秋2回主事養成講習会が開かれるようになり、宮本はそのキリスト教科目の講師のひとりとなった。'49 陣容を整えた学生部常務委員会では副委員長に選ばれた(委員長は湯浅八郎)。'53 日本YMCA研究所が設立され研究所委員となり、キリスト教倫理を担当。60年代、70年代の東山荘委員も務めた。
 1969(S44)東京女子大学学長に就任。その後、フェリス女学院院長を歴任した。
 著書は多数あり、『基督教叢書』(1934)、『基督教倫理学の根本問題』(1939)、『宗教哲学』(1942)、『象徴としての哲学』(1948)、『福音の真理:新しき世代のために』(1952)、『現代キリスト教人間像:人間の自己疎外の問題』(1958)、『聖書は何を語るか』(1961)、『大学と人間』(1961)、『波多野精一』(1966)、『宗教哲学の根本問題』(1968)、『聖書のことば』(1977)などがあり、翻訳書も多数刊行している。『宮本武之助著作集(上・下巻)』(1992)にまとめられた。自伝『私のキリスト教』(1983)。「キリスト教と文化」を生涯追究したテーマとして取り組んだ。享年92歳。

<日本YMCA事典>
<著者略歴など>


墓所 墓所 墓所
墓誌 右 墓誌 右側 (*クリックで拡大)
墓誌 中央 墓誌 中央(*クリックで拡大)
墓誌 左 墓誌 左側(*クリックで拡大)

*墓石正面「信濃町教會員墓」。左側に墓誌が三基建つ。宮本武之助は左の墓誌の上の段右から十五番目「宮本武之助 一九九七 三 六」と刻む。妻は或子、武之助の左隣に「宮本或子 二〇〇六 一〇 二五」と刻む。

*「信濃町教會員墓」には、創立者で牧師の高倉徳太郎、高倉を支え「韓国の恩人」と称された教育家の桝富安左衛門、新教出版社初代社長の長崎次郎、3代目信濃町教会牧師で聖書学者の山谷省吾、心理学者の細木照敏、作家の仲町貞子(井上奥津)、詩人の石原吉郎(以上・右の墓誌に刻む)、教育者の仁藤友雄、2代目・4代目信濃町教会牧師の福田正俊、物理有機化学者の高橋詢(以上・真ん中の墓誌に刻む)、建築家で建築学者の外山義、神学者で文芸評論家の井上良雄、キリスト教学者の小川圭治、「福音と世界」編集長の森平太(森岡巌)(以上・左の墓誌に刻む)らも同墓に眠る。


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