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まぶち なおいつ

馬渕直逸

まぶち なおいつ

1879.11.3(明治12)〜 1929.1.25(昭和4)

明治・大正・昭和期の陸軍軍人(中将)

埋葬場所: 3区 1種 3側 10番

 愛知県碧海郡依佐美村大宇野田(刈谷市)出身。旧福島(板倉)範士・戸長の馬渕栄吉の長男として生まれる。弟の馬渕逸雄(1896-1973) は陸軍少将。
 1899.11.21陸軍士官学校卒業(11期)。 同期に寺内寿一(元帥)、高橋真八(中将:22-1-39)、多門二郎(中将:13-1-10-15)、蘆川良治(少将:3-1-29の2)、梅澤力助(少将:23-1-1)、小野茂幸(少将:25-2-14)、西郷豊彦(少将:14-1-9)、長谷川国太郎(少将:13-1-7)、松田清彦(少将:20-1-7)、西郷従徳(大佐・侯爵:10-1-1-1)らがいた。翌.6.25歩兵少尉に任官。'03.8.3陸軍大学校に入学するも、日露戦争出征のため、'04.2.9中退。'06.3.20大学校復校のため復学し、'08.11.30陸軍大学校卒業(20期)。 同期に林仙之(後に大将:7-1-5)、大平善市(中将:6-1-5-15)、齋藤義夫(中将:7-2-32)らがいた。卒業後は陸軍参謀本部部員に補される。
 第17師団参謀、歩兵第38連隊大隊長、再び参謀本部部員となり、'16.7.7(T5)陸軍大学校教官。陸軍の中堅、参謀将校の養成に尽くした。 また、陸軍だけでなく、海軍大学校の教官も務めた。'20.8.10大佐に昇進し、兵本付となる。同年、第一次世界大戦終戦に伴い、平和条約締結にあたり実施委員を命じられ欧州に派遣される。 '22帰国し、同.8.15歩兵第3連隊長に就任。'23.8.6参謀庶務課長を経て、'24.8.20少将に累進して再び陸軍大学校教官となる。'26.3.2歩兵第7旅団長を歴任し、'27.8.26(S2)第1師団司令部付となるが、在任中に没す。享年49歳。没後中将に栄進した。

<帝国陸軍将軍総覧>
<刈谷人物名鑑など>


墓所

*墓石は和型「馬渕家之墓」。左側に馬渕家の五輪塔が建ち、その左側に「陸軍中将馬渕直逸君之碑」が建つ。戒名は顕忠院殿義誉正道直逸大居士。正四位勲三等功五級。

*「馬淵」と記す人名事典が多数散見したが「馬渕」が正しい。また「少将」として紹介をしているものも多いが「中将」が正しい。更に、没月日を1月26日と記すものがほとんどであるが、墓石には1月25日と刻むので、そちらを優先にする。


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