歴史が眠る多磨霊園 |
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長谷川国太郎 | |
はせがわ くにたろう | |
1876(明治9)〜 1957.3.9(昭和32) | |
明治・大正・昭和期の陸軍軍人(少将) | |
埋葬場所: 13区 1種 7側 | |
兵庫県出身。1899.11.21陸軍士官学校卒業(11期)。同期に寺内寿一(元帥)、高橋真八(中将:22-1-39)、多門二郎(中将:13-1-10-15)、馬渕直逸(中将:3-1-3-10)、蘆川良治(少将:3-1-29の2)、梅澤力助(少将:23-1-1)、小野茂幸(少将:25-2-14)、西郷豊彦(少将:14-1-9)、松田清彦(少将:20-1-7)、西郷従徳(大佐・侯爵:10-1-1-1)らがいた。1900.6.22歩兵少尉に任官。日露戦争に従軍するなど様々な要職を経て、'23.8.6(T12)大佐に上がり、函館聯隊区司令官となる。'26.3.2歩兵第12聯隊長を歴任。 <帝国陸軍将軍総覧> *墓石は和型「長谷川家之墓」。墓誌があり、戒名は悠岳院殿武暦國芳大居士。陸軍少将の刻みもある。妻はとく。国太郎の長男の長谷川壽雄(同墓)は陸軍中佐・総軍参謀などを務めた人物で、広島で被爆を体験。 戦後、その体験記をまとめている。次男の長谷川實は陸軍砲兵大尉。日支事変に従軍し、S12.10.8上海付近楊家宅南方約四百米突無名部落に於て敵十五榴砲弾を浴びて戦死。享年24歳。戒名は忠魂院殿義道實範大居士。 | |
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