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たかはし しんぱち

高橋真八

たかはし しんぱち

1876.7.15(明治9)〜 1938.5.19(昭和13)

明治・大正・昭和期の陸軍軍人(中将)、築城の権威者

埋葬場所: 22区 1種 39側

 香川県綾歌郡青海村大藪(坂出市大屋冨町)出身。庄屋の高橋愛三郎の長男。 1899.11.21(M32)陸軍士官学校卒業(11期)。同期に寺内寿一(元帥)、多門二郎(中将:13-1-10-15)、馬渕直逸(中将:3-1-3-10)、梅澤力助(少将:23-1-1)、小野茂幸(少将:25-2-14)、西郷豊彦(少将:14-1-9)、長谷川国太郎(少将:13-1-7)、松田清彦(少将:20-1-7)、西郷従徳(大佐・侯爵:10-1-1-1)らがいた。 翌.6.25工兵少尉に任官。
 中尉の時に日露戦争に従軍し、203高地攻略戦に参加し、肩に銃創を受けたため、内地送還となって、北海道登別で療養生活を送った。'06療養後、築城本部に配属される。 '08ドイツに渡航し、クルップ社の大砲工場の製造工程などを視察。'10帰朝し、'10〜'14(M43-T3)大尉の時、東京湾海堡建設で、第二海堡および第三海堡建設を直接担当した。 '14砲工学校教官、'19第一次世界大戦戦勝国日本の代表としてドイツに派遣される。一度ドイツを見ていた高橋は敗戦国のドイツの惨状に、軍隊は国を護り、国民の権利を護るためのもので、いたずらに戦争は起こすべきではない。戦争はいかん。」と軍人でありながら周囲の人々に語ったとされる。
 '22.8.15(T11)工1大隊長を経て、'23.8.6工兵大佐となり、'24.2.4築城本部員となる。'28.8.10(S3)少将に昇進し、佐世保要塞司令官に就任。'29.8.1陸軍砲工学校工兵科長、'32.8.8築城本部長を歴任し、同.12.7中将に昇格した。 '35.8.1待命、同.8.28予備となる。築城の権威者であり、セメントの耐久性を見るのは名人であった。享年61歳。1993(H5)次女の牛尾保子が『戦争はいかん 平和を希った軍人高橋真八』が刊行された。

<帝国陸軍将軍総覧>
<日本陸軍将官総覧>
<講談社日本人名大辞典など>


*墓石正面「高橋家之墓」。戒名は真忠院殿釈哲城大居士。妻は陸軍中将の落合豊三郎の娘の愛子。この墓は東京湾建設の同窓会メンバーの方が建之した。

*趣味は日本刀や骨董品収集で、日本刀を100本以上所有しており、鑑定を頼まれるほど目利きがあったとされる。


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