歴史が眠る多磨霊園


つの かずすけ

津野一輔

つの かずすけ

?〜 1928.2.24(昭和3)

大正期の陸軍軍人(中将)

埋葬場所: 3区 1種 22側 1番

山口県出身。歩兵。陸士5 陸大15
 陸士5期の同期に金谷範三〔陸軍大将〕(1-1-2-20)、村岡 長太郎〔陸軍中将〕(7-1-1-1)らがいる。
1916(T5)軍務局軍事課長。同年、少将となり、近歩二旅団長。
'20北部沿海州派遣隊司令官。同年、サガレン州派遣軍参謀長。
'21軍務局長。同年、第一六師司付。
'22陸士校長。
'23中将となり、教総本部長。
'24陸軍次官。
'26近衛師団長。同年9月25日勲一等瑞宝章。
 1918〜22まで戦われたシベリア出兵(ロシアの社会主義革命への干渉戦争)の際、沿海州派遣隊を指揮し、東シベリアを転戦していた多門二郎(13-1-10-15)率いる多門支隊と連携した。 またサハリン軍政部長として兵士の士気を低下させないための予防策として軍慰安所設置を許可した。
 設置理由は二点あり、1.戦争の目的がわからない戦争であったため、兵士の気持ちが荒れ、そのため、士気の低下と軍記のゆるみがめだち、民家からの家畜・薪の掠奪や強姦事件も少なくなかった。 よって軍人による士気の低下を阻止、強姦事件を防止するためという理由。2.兵士の性病感染率が高かった。 その原因のひとつは兵士などを相手をする芸妓・酌婦の性病感染率が高いことが原因だった。 そのため1920年9月1日、「芸妓、酌婦取締規則」をつくり、芸妓・酌婦は憲兵隊の許可制とし、憲兵隊の指定した健康診断を受けるよう義務づけた。 これは憲兵隊管理の公娼制である。津野は軍慰安所設置を陸軍の先駆けとして許可した。

<日本陸軍将官総覧など>

 


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