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まつき なおすけ

松木直亮

まつき なおすけ

1876.11.5(明治9)〜 1940.5.22(昭和15)

大正・昭和期の陸軍軍人(大将)

埋葬場所: 10区 1種 4側 19番

 山口県出身。松木一郎の長男。周陽学舎、成城学校、陸軍幼年学校を経て、1898(M31)陸軍士官学校卒業(10期)。同期に西義一(後に大将:11-1-20)、川田明治(後に中将:22-1-79)、齋藤義夫(後に中将:7-2-32)、村瀬文雄(後に中将:22-1-81)、長尾穂次(後に少将:26-1-37)、本庄庸三(後に少将:13-1-25)、水町竹三(後に少将:13-1-6)らがいた。1899.6少尉任官。歩兵第1連隊付となり、中隊長として日露戦争に出征し負傷した。
 1907(M40)陸軍大学校卒業(19期)。 同期に荒木貞夫(大将:8-1-17)、本庄繁(大将:13-1-4)、阿部信行(大将・総理大臣)、真崎甚三郎(大将)、新井亀太郎(中将:13-1-4)、二子石官太郎(中将:17-1-10)らがいた。卒業後、参謀本部員兼軍事参議官副官、'10から3年間ドイツ大使館付武官補佐官、その後、熊本俘虜収容所長、陸軍歩兵学校教官、陸軍省軍務局課員、陸軍大学教官、'18(T7)大佐となり歩兵第78連隊長、'19陸軍省副官などを歴任。
 '23少将に昇格し、台湾第1守備隊司令官に就任した。'25兵器本廠付(作戦資材整備会議幹事長)、'26陸軍省整備局長に着任。'27.12(S2)中将に進級し、'29第14師団長となり、'32上海事変・満州事変に派遣された。'33.8参謀本部付、同.12大将に昇格し待命、'34.1予備役となった。同.2.7勲1等瑞宝章、同.4.29勲1等旭日大綬章、同.5.9満州帝国勲1位景雲章。二・二六事件発生に伴い、'37.2東京陸軍軍法会議判士を命ぜられ、磯村年陸軍大将と公判を担った。正3位 従4位 勲1等。享年63歳。

<コンサイス日本人名事典>
<日本陸軍将官総覧>
<20世紀日本人名事典>


墓所

*墓石は和型「陸軍大将松木直亮墓 / 室ツタ」。右面「陸軍大将 井上幾太郎 書」。裏面「昭和十五年五月二十二日薨 / 昭和五十三年十月二十四日薨」。左面「英徳院殿勲譽周陽直亮大居士 享年六十五才 / 昭徳院殿順譽慈心葉大姉 享年九十二才」。墓所右側に和型「松木家之墓」。裏面「昭和三十三年四月建之 松木 正直 忠直 久直」。左側に墓誌が建つ。

*妻の松木ツタの父は陸軍少将の林錬作。


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