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こうら よしえ

高良芳枝

こうら よしえ

1925.10.31(大正14)〜 2018.1.31(平成30)

昭和・平成期のピアニスト

埋葬場所: 19区 1種 13側

 東京東中野出身。父は旧制水戸高等学校で数学教師などを務めていた教育者の内藤珍麿。旧姓は内藤。11歳離れた姉の内藤喜久子の手ほどきでピアノを始める。
 東京府立第五高等女学校(都立富士高等学校)1年生のとき、東京音楽学校(東京藝術大学)に併設されていた上野児童音楽学園に通園して、永井進(23-1-3)に師事した。3年生の時から,姉の喜久子が師事していたヨーゼフ・ローゼンシュトックの指導を受けた。1942(S17)東京音楽学校に入学し、宇佐美ために師事。'45.9 繰り上げ卒業。'47 同研究科修了。その後、斎藤秀雄(2-1-4-4)に音楽理論、安川加壽子にピアノの指導を受ける。
 '48 N響の準楽員、'49より正楽員となりピアニストをつとめる。'53 物理学者の高良和武(同墓)と結婚し高良姓となる。'54 カラヤン指揮で松平頼則「主題と変奏曲」の演奏を最後にN響を退団。'55 ベルリンにわたり、ゲルハルト・プッヘルトに師事。'58 帰国。'59より東京藝術大学、桐朋学園にて教鞭をとり、後進指導。
 その伝説的ともいえる熱心で素晴らしいレッスンは広く知られており、門下からは著明な国内外の音楽コンクールの優勝・入賞者や優れたピアノ指導者を多数輩出している。東京藝術大学名誉教授。享年92歳.

<音楽家人名事典>
<高良芳江先生の思い出>


墓所
正面 裏面、墓誌

*墓石正面「睥鼻廖下側に「KORA」と刻み、右面に「昭和三十一年三月愛児の追慕に建つ 高良武久 とみ」、左面に「睥蛭世子 行年一八 一九三七・八・一八 − 一九五五・三・二四 永眠」と刻む。裏面が墓誌となっており「睥廟菫賃紂糠景茵廚塙錣漾¬声十七年に亡くなた高良武重夫妻、友益夫妻、両親の善十郎・登美、急逝した武久の兄の淳の長男の義郎と続き、とみ、武久、眞木の俗名と享年、没年月日が刻む。

*墓所左側にも墓誌が二つ建つ。墓石側の墓誌は、武久の兄で耐火物技術研究者の高良淳を先頭に、1歳で亡くなった長女の芳子、妻の多和子、長男ので父と同じ耐火物技術研究者の義郎、義郎の妻の正子、義郎の長男の信郎、義郎の二男の和郎が刻む。その左隣の墓誌には、ピアニストの高良芳枝から始まり、芳枝の夫で物理学者の和武(武久とは従兄にあたる)、101才の大往生の瑞穂、鉄子、道生が刻む。


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