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こうら かずたけ

高良和武

こうら かずたけ

1921.2.9(大正10)〜 2019.1.30(平成31)

昭和・平成期の物理学者、放射光科学者

埋葬場所: 19区 1種 13側

 鹿児島県鹿児島市出身。福岡県久留米市の高良神社(戦後より高良大社)の宮司の家に生まれる。精神医学者の高良武久(同墓)は従兄。
 鹿児島県立第一中学校を経て、1941(S16)第七高等学校造士館卒業。'43 九州大学物理学科を戦争のため繰り上げ卒業。戦地には行かず終戦を迎える。戦後、'48.12 九州大学工学部応用物理学教室助教授。'53.7 東京大学教養学部助教授に転身し、同年 ピアニストの内藤芳枝(同墓)と結婚。'55 九州大学より理学博士。同.9〜'57.12 妻の芳江と共にドイツのベルリンに留学。マックス・ブランク協会フリッツ・ハーバー研究所にて客員教授を務めた。'57.12 帰国。'63.3 東京大学教養学部教授。'64.11 工学部応用物理学科に移り教授。
 専門は動力学X線回析理論とその応用研究であり、シリコンなどの完全結晶を用いた精密X線光学系の開発とその応用であり、半導体分野の進展に尽くす。'72 日本結晶学会の第11代会長(〜'77)。
 日本初のエックス線領域の光を発生させることができる放射光施設であるフォトン・ファクトリーの創設に尽力。'78 高エネルギ物理学研究所(高エネルギー加速器研究機構)放射光実験施設(フォトン・ファクトリー)初代施設長に就任した(〜'86:名誉教授)。この間、'84 東京大学を停年退官し名誉教授。
 '87 航空工学者の近藤次郎からの誘いを受けて、学校法人筑波研究学園(TIST)の創設に携わり理事長に就任。'88 日本放射光学会を創立し初代会長。'90 学校法人ソニー学園理事長(〜'99)。同年、科学技術庁参与(〜'98)。'91.10(H3)応用物理学会功労会員に推薦される。'98 総合科学研究機構の第2代理事長(〜2008.5:後に名誉理事長)。'99 日本インターンシップ学会の初代会長(後に名誉会長)。2002.1 フォトン・ファクトリー創設の功績が認められ、佐々木泰三、冨家和雄と共に日本放射光学会の名誉会員に初めて認定された。同.2 特定非営利活動法人こどもの命を守る会会長に就任。2007 若手研究者の育成や研究交流の促進を図るため、優れた研究課題への研究助成を行う「高良記念研究助成」制度が開始した。
 動力学X線回折理論の研究により放射光科学と結晶学の発展に貢献した。また後年は、産学連携や高等教育におけるインターンシップ制度の推進にも尽力した。心不全のため逝去。享年97歳。2019.2.9 告別式が執り行われたが、その日は満98歳の誕生日の日であった。

<「高良和武先生を偲んで」日本結晶学会誌61>
<「高良和武初代会長を偲んで」日本インターンシップ学会 NEWS LETTER 特別号>
<訃報記事など>


墓所
正面 裏面、墓誌

*墓石正面「睥鼻廖下側に「KORA」と刻み、右面に「昭和三十一年三月愛児の追慕に建つ 高良武久 とみ」、左面に「睥蛭世子 行年一八 一九三七・八・一八 − 一九五五・三・二四 永眠」と刻む。裏面が墓誌となっており「睥廟菫賃紂糠景茵廚塙錣漾¬声十七年に亡くなた高良武重夫妻、友益夫妻、両親の善十郎・登美、急逝した武久の兄の淳の長男の義郎と続き、とみ、武久、眞木の俗名と享年、没年月日が刻む。

*墓所左側にも墓誌が二つ建つ。墓石側の墓誌は、武久の兄で耐火物技術研究者の高良淳を先頭に、1歳で亡くなった長女の芳子、妻の多和子、長男ので父と同じ耐火物技術研究者の義郎、義郎の妻の正子、義郎の長男の信郎、義郎の二男の和郎が刻む。その左隣の墓誌には、ピアニストの高良芳枝から始まり、芳枝の夫で物理学者の和武(武久とは従兄にあたる)、101才の大往生の瑞穂、鉄子、道生が刻む。


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