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こうら すなお

高良 淳

こうら すなお

1883(明治16)〜 1974.11.6(昭和49)

大正・昭和期の耐火物技術研究者

埋葬場所: 19区 1種 13側

 鹿児島県川辺出身。鹿児島県川辺郡で議員を務めていた高良善十郎・登美(共に同墓)の子。弟の高良武久(同墓)は森田療法を活用した精神科医で心理学者。武久の妻の高良とみ(同墓)は婦人運動家。長男の高良義郎(同墓)は耐火物技術研究者。
 1906(M39)大阪工業高等学校窯業科卒業。官営の八幡製鐵所に入所。炉材工場に勤め、耐火煉瓦(れんが)の開発にあたる。
 次第に「官吏の特権を離れて一民間人として製造に従事したい」という希望を持つようになり、珪石煉瓦製造専門会社の設立を企画。 会社設立のため、八幡製鐵所庶務課長の田島勝太郎の紹介で松本健次郎を訪ね懇願。初対面であったが、その熱意に押され快諾。 1918(T7)42万円(現在の10億円程度)を出資し耐火煉瓦専門会社である黒崎窯業株式会社(黒崎播磨セラコーポ株式会社)を設立。社長は松本健次郎、高良は取締役技師長に就任した。 '19.6.1最初の窯出しを行い、本格的な操業開始。高良は専門的な技術開発から工場経営までトップ人事以外すべてを一任された。品質第一主義をモットーに関東・関西の製鋼・ガス会社にも販路を拡大し、会社の礎を築いた。
 '36(S11)製鉄用耐火煉瓦の品質改良の功績により、耐火物技術者として初めて日本鉄鋼協会服部賞を受賞した。'49戦後復興の後押しもあり、東京証券取引所に株式上場。 '56八幡製鉄所の資本参加による企業提携。'57日本初の純酸素上吹転炉(八幡製鐵五製鋼工場)にタールドロマイト煉瓦(商品名=DOLMIX)採用。 '64タール・ドロマイト煉瓦が大河内記念生産賞を受賞。晩年は相談役。享年91歳。

<北九州ものづくり企業 黒崎播磨株式会社>


墓所
正面 裏面、墓誌

*墓石正面「髙良」、下側に「KORA」と刻み、右面に「昭和三十一年三月愛児の追慕に建つ 高良武久 とみ」、左面に「髙良美世子 行年一八 一九三七・八・一八 − 一九五五・三・二四 永眠」と刻む。裏面が墓誌となっており「髙良先祖代々之墓」と刻み、明治十七年に亡くなた高良武重夫妻、友益夫妻、両親の善十郎・登美、急逝した武久の兄の淳の長男の義郎と続き、とみ、武久、眞木の俗名と享年、没年月日が刻む。

*墓所左側にも墓誌が二つ建つ。墓石側の墓誌は、高良淳を先頭に、1歳で亡くなった長女の芳子、妻の多和子、長男ので父と同じ耐火物技術研究者の義郎、義郎の妻の正子、義郎の長男の信郎、義郎の二男の和郎が刻む。その左隣の墓誌には、ピアニストの高良芳枝から始まり、芳枝の夫で物理学者の和武(武久とは従兄にあたる)、101才の大往生の瑞穂、鉄子、道生が刻む。

*同墓所には弟で心理学者の高良武久と、婦人運動家のとみ、二人の長女で画家の高良眞木や三女で自死したが遺稿集で著者となっている高良美世子も眠る。なお、二女は詩人の高良留美子。


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