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こさか ぜんたろう

小坂善太郎

こさか ぜんたろう

1912(明治45)〜 2000(平成12)

戦後の政治家

埋葬場所: 8区 1種 13側

 小坂順造の長男(同墓)。信越化学顧問から1946(S2)以来、父の地盤をついで長野から衆院議員に当選。 大蔵政務次官、進歩党政調会副会長、民主党総裁、自由党総裁などをへて、53第五次吉田内閣の労相に就任。 また初代国家公安委員長、経済審議庁長官臨時代理となった。 60代一次・第二次池田内閣では外相、72第二次田中角栄内閣で経済企画庁長官、76三木改造内閣で外相。 自民党内では理論家で、大内兵衛(6-1-11-11)・有沢広巳らと社会主義政治経済研究所に参加したことがある。《勲一等受章》

<コンサイス日本人名事典>


墓誌

*小坂家墓所は広大で洋型墓石も巨大である。墓石の手前には墓誌が立ち、そこから小坂順造と善太郎の刻を見ることができる。

*小坂善太郎の長男の小坂憲次は2005年10月31日にスタートした第三次小泉純一郎「郵政民営化実現」(改革続行)」内閣の文部科学大臣に任命された。



小坂憲次(こさか けんじ)
1946.3.12(昭和21)〜 ご健在
平成期の政治家
 小坂善之助、順造、善太郎と四代にわたる政治家の家系。 1968(S43)慶應義塾大学法学部法律学科卒業、日本航空に入社。欧米駐在を経験し国際感覚を養う。’84退社。
 父の善太郎の後を継ぎ、長野市にて政治活動を開始。’86中曽根内閣で自由民主党総裁秘書。 ’90(H2)衆議院議員初当選(以後6期当選中)。’94自民党を離党し、新進党などを経て’98に復党した。 ’99小渕第二次改造内閣の初代郵政総括政務次官に就任。2000森内閣の郵政総括政務次官。 ’01の1月に初代総務副大臣に就任し、4月26日小泉内閣が発足した際にも総務副大臣を継続した(〜’02.1月退任)。 '03衆議院議員運営委員会筆頭理事、自由民主党国会対策委員会副委員長('04筆頭副委員長)、'05.10月31日第三次小泉内閣の文部科学大臣に就任。
 郵政民営化には当初、批判的だったが、国会対策筆頭副委員長として成立に汗をかいた。 「育ちが良すぎる」との評もあり、自らの色をどう出していくのか。 車で三十メートル以上転落しながら九死に一生を得た体験を思い出すと「腹が据わる」という。

<日本経済新聞(11月1日)閣僚の横顔など>


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