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こさか じゅんぞう

小坂順造

こさか じゅんぞう

1881.3.30(明治14)〜 1960.10.16(昭和35)

大正・昭和期の実業家、政治家

埋葬場所: 8区 1種 13側

 長野県上水内郡柳村(長野市)出身。父は信濃毎日新聞創業者・政治家の小坂善之助。弟の小坂武雄は信濃毎日社長。長男は政治家の小坂善太郎。次男は善次郎。三男の小坂徳太郎は政治家。長女の百合子は東京都知事の美濃部亮吉(25-1-24-1)に嫁ぐも離婚し戻る。孫は政治家の小坂憲次(一族は全員同墓)。
 1904(M37)東京高等商業学校卒業後、日本銀行に入行。ヨーロッパ視察後、'08父が病で倒れたため退職し帰郷。'09 信濃銀行取締役となる。'10 信濃毎日新聞社社長を兼任、長野商工会議所会頭にも就任。
 '12.5.15 第11回衆議院議員総選挙に長野郡部8区より立候補し初当選。立憲民政党に属した。その後、農商務相秘書官、農商務省参事官、'29(S4)拓務省政務次官を務めた。衆議院議員選挙には初当選以降、'15第12回は郡部2区で当選、'17第13回は落選、'20第14回は1区から当選、以降1区から出馬を続けるが、'24第15回は落選、'28第16回は当選、'30第17回は当選、'32第18回も当選。通算5回当選した後、同年より貴族院議員の多額納税者議員として鞍替えし、'46.9.4辞任するまで務め、同年より枢密顧問官を歴任した。
 この間、'23 長野電燈社長、東信電気社長の傍ら、'26(T15)信越窒素肥料(信越化学工業)を創設し、新興化学産業部門に乗りだし興隆に力を注ぎ、'31〜'56 社長を務めた。第二次世界大戦の戦時体制下では、金属マンガン・マグネシウム・珪素鉄などを生産。
 '50 吉田茂首相に請われて国策会社日本発送電の最後の総裁を引き受け、翌年の同社の解散と九電力会社への分割に当たった。'54〜'56 電源開発総裁。
 '60.10.9 胸の痛みを訴え倒れ、世田谷の自宅にて療養を続けていたが、一週間後に心筋梗塞により逝去。享年79歳。従3位。勲1等旭日大綬章追贈。

<コンサイス日本人名事典>
<講談社日本人名大辞典>
<20世紀日本人名事典など>


墓所 墓誌

*墓石正面「小坂氏墓」、裏面は小坂善之助の略歴と、昭和十年八月次子の善次郎没後に多磨墓地に分葬し遺骨を併葬した旨、最後に「昭和十年十一月 小坂順造 撰並建」と刻む。墓所右側に墓誌が建つ。令和3年現在刻まれている名前は右から下記である。初代の小坂善次郎、うた。二代 小坂善之助、きく。三代 小坂善三、こそ。四代 小坂善之助、志げ。五代 従三位 勲一等 小坂順造、花子。小坂善次郎、直、百合子。六代 正三位 勲一等 小坂善太郎。正三位 勲一等 小坂徳三郎、旦子。七代 小坂順之助。小坂憲次。

*旧小坂家住宅(東京都世田谷区瀬田4丁目)は、1937(S12)に建築された和洋折衷・木造一部2階建てとして小坂順造の別邸として建てられた。小坂順造の本邸は渋谷区にあったが、戦争で焼失以降は、この別邸が本邸として使用。'96.10(H8)世田谷区が緑地保護と公園用地として土地を購入し、建物は小坂家より世田谷区へ寄贈され、改修工事を経て、1999.11.24世田谷区指定有形文化財となる。現在は敷地全体が「瀬田四丁目旧小坂緑地」として公開されている。



【小坂家】
 小坂家は現在の長野市柳原に江戸時代から居を構える三百石の大庄屋。多磨霊園の墓石には初代 小坂善次郎から代々刻まれている。初代の善次郎は文学と茶を親しむ文化人であった。2代目の小坂善之助の進取の気性は千曲川堤防対策に発揮され、幕末には私財を投じて改修工事に当たり、それが自分に跳ね返って資産を増やした。3代目の小坂善三(後に小坂善之助)は2代目の長女の小坂こそ の婿養子となる。
 4代目の小坂善之助が更級、埴科や南北安曇の群長の後、1890(M23)第1回帝国議会の衆議院議員に当選、さらに信濃銀行や長野電灯の創設、信濃新聞創刊と地方王国小坂財閥の礎を築いた。5代目は小坂順造で長男、政治家として活動。次男の義雄は小坂才兵衛の養子。三男の小坂武雄は信濃毎日新聞社長・政治家。長女のちか は政治家の花岡次郎の妻。二女のはる は日本銀行総裁の深井英五の妻。三女の国 は三菱銀行副頭取の関根善作の妻。四女の菊江 は陸軍少将の津野田是重(7-2-14-13)の妻。
 6代目は小坂善太郎で長男。次男は善次郎。三男の小坂徳太郎は政治家。長女の百合子は東京都知事の美濃部亮吉(25-1-24-1)に嫁ぐも離婚し戻り、子どもたちは小坂姓となる。小坂善太郎の前妻の直子の祖父は男爵・海軍軍医少将の高木兼寛、次男の兼二の娘。後妻の益子は、浄土真宗本願寺派の僧侶・政治家の大谷尊由の二女の益子。益子は朝香宮鳩彦王と允子内親王(明治天皇の第八皇女)の第2皇子・音羽正彦(7-1-1)侯爵と結婚したが子に恵まれず死別したため、善太郎の後妻として再婚した。前妻との間に1男の小坂順之介、後妻との間に1男1女を儲け、次男は政治家を継承した小坂憲次、長女の真理子は日生同和損保会長を務めた岡真雄に嫁いだ。憲次の妻はまり子。
 小坂憲次まで代々政治家家系を継承してきた。しかし、2015.11.25(H27)小坂憲次が悪性リンパ腫の治療専念のため第24回参議院議員総選挙に立候補をせず、小坂家から後継候補を擁立しなかったため、帝国議会以来続いた小坂家の国会議員として議席は一先ず終焉を迎えることとなった。




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