メイン » » » 小坂憲次
こさか けんじ

小坂憲次

こさか けんじ

1946.3.12(昭和21)〜 2016.10.21(平成18)

平成期の政治家

埋葬場所: 8区 1種 13側

 長野県長野市出身。曽祖父は信濃毎日新聞創業者・政治家の小坂善之助(同墓)、祖父は電源開発総裁・政治家の小坂順造(同墓)。父も政治家の小坂善太郎(同墓)、母の益子(同墓)は、浄土真宗本願寺派の僧侶・政治家の大谷尊由の二女。次男として生まれる。叔父の小坂徳三郎も政治家。4代にわたる政治家の家系。
 1968(S43)慶應義塾大学法学部法律学科卒業、日本航空に入社。欧米駐在を経験し国際感覚を養う。'84退社。
 父の善太郎の後を継ぎ、長野市にて政治活動を開始。'86中曽根康弘内閣で自由民主党総裁秘書を務める。'90.2.18(H2)第39回衆議院議員総選挙に父から引き継いだ旧長野県1区にて自由民主党公認で立候補し初当選(以後6回当選)。一貫して羽田孜の側近として活動。'93自民党を離党し、羽田が率いる新生党に入党。その後も羽田に従って新進党、太陽党、民政党と渡り歩いたが、'98 羽田が菅直人率いる民主党への合流を進めたことに反発し、民主党には合流せず、自民党に復党した。
 '99 小渕第2次改造内閣の初代郵政総括政務次官に就任。2000 森内閣の郵政総括政務次官を留任、2001.1 第2次森改造内閣で初代総務副大臣に就任し、同.4.26 小泉内閣が発足した際にも総務副大臣を継続した(〜2002.1 退任)。2003 衆議院議員運営委員会筆頭理事、自由民主党国会対策委員会副委員長('04筆頭副委員長)を経て、2005.10.31 第3次小泉内閣の文部科学大臣として初入閣。郵政民営化には当初、批判的だったが、国会対策筆頭副委員長として成立に汗をかいた。2008.9.22 衆議院議員運営委員長に就任。
 2009.8.30 第45回衆議院議員総選挙に自由民主党公認で長野1区より立候補したが、民主党公認候補の篠原孝に及ばず、比例復活も出来ずに落選。2010.7.11 第22回参議院議員通常選挙に比例区から当選し政界に復帰。同.8.19 中曽根弘文参議院議員会長の下で自由民主党参議院幹事長に就任(〜2011.10.6)。2011.10.21 参議院憲法審査会会長を務め、2014.9.29 参議院決算委員長に就任した。
 2015.11.25 早期の悪性リンパ腫を患い治療に専念するため、次回の参院選の党公認を辞退する意向を明らかにした。また、小坂家から後継候補を擁立しなかったため、帝国議会以来続いた小坂家の国会議員として議席は一先ず終焉を迎えることとなった。2016.10.21 悪性リンパ腫のため慶応義塾大学病院にて逝去。享年70歳。叙従3位 旭日大綬章追贈。同.10.26 東京・青山葬儀所でしめやかに営まれた。
 「育ちが良すぎる」「世襲制度問題」などの評もあり、自らの色をどう出していくのかを自らも課題としていた。文部科学大臣に就任した時には、車で三十メートル以上転落しながら九死に一生を得た体験を思い出すと「腹が据わる」と語っていた。

<政治家人名事典>
<日本経済新聞(11月1日)閣僚の横顔など>


墓所 墓誌

*墓石正面「小坂氏墓」、裏面は小坂善之助の略歴と、昭和十年八月次子の善次郎没後に多磨墓地に分葬し遺骨を併葬した旨、最後に「昭和十年十一月 小坂順造 撰並建」と刻む。墓所右側に墓誌が建つ。令和3年現在刻まれている名前は右から下記である。初代の小坂善次郎、うた。二代 小坂善之助、きく。三代 小坂善三、こそ。四代 小坂善之助、志げ。五代 従三位 勲一等 小坂順造、花子。小坂善次郎、直、百合子。六代 正三位 勲一等 小坂善太郎。正三位 勲一等 小坂徳三郎、旦子。七代 小坂順之助。小坂憲次。


【小坂家】
 小坂家は現在の長野市柳原に江戸時代から居を構える三百石の大庄屋。多磨霊園の墓石には初代 小坂善次郎から代々刻まれている。初代の善次郎は文学と茶を親しむ文化人であった。2代目の小坂善之助の進取の気性は千曲川堤防対策に発揮され、幕末には私財を投じて改修工事に当たり、それが自分に跳ね返って資産を増やした。3代目の小坂善三(後に小坂善之助)は2代目の長女の小坂こそ の婿養子となる。
 4代目の小坂善之助が更級、埴科や南北安曇の群長の後、1890(M23)第1回帝国議会の衆議院議員に当選、さらに信濃銀行や長野電灯の創設、信濃新聞創刊と地方王国小坂財閥の礎を築いた。5代目は小坂順造で長男、政治家として活動。次男の義雄は小坂才兵衛の養子。三男の小坂武雄は信濃毎日新聞社長・政治家。長女のちか は政治家の花岡次郎の妻。二女のはる は日本銀行総裁の深井英五の妻。三女の国 は三菱銀行副頭取の関根善作の妻。四女の菊江 は陸軍少将の津野田是重(7-2-14-13)の妻。
 6代目は小坂善太郎で長男。次男は善次郎。三男の小坂徳太郎は政治家。長女の百合子は東京都知事の美濃部亮吉に嫁ぐも離婚し戻り、子どもたちは小坂姓となる。小坂善太郎の前妻の直子の祖父は男爵・海軍軍医少将の高木兼寛、次男の兼二の娘。後妻の益子は、浄土真宗本願寺派の僧侶・政治家の大谷尊由の二女の益子。益子は朝香宮鳩彦王と允子内親王(明治天皇の第八皇女)の第2皇子・音羽正彦(7-1-1)侯爵と結婚したが子に恵まれず死別したため、善太郎の後妻として再婚した。前妻との間に1男の小坂順之介、後妻との間に1男1女を儲け、次男は政治家を継承した小坂憲次、長女の真理子は日生同和損保会長を務めた岡真雄に嫁いだ。憲次の妻はまり子。
 小坂憲次まで代々政治家家系を継承してきた。しかし、2015.11.25(H27)小坂憲次が悪性リンパ腫の治療専念のため第24回参議院議員総選挙に立候補をせず、小坂家から後継候補を擁立しなかったため、帝国議会以来続いた小坂家の国会議員として議席は一先ず終焉を迎えることとなった。



第278回 信州 小坂財閥 後編 4代続いた一族の議席
小坂善太郎 小坂徳三郎 小坂憲次 お墓ツアー


関連リンク:



| メイン | 著名人リスト・か | 区別リスト |
このページに掲載されている文章および画像、その他全ての無許可転載を禁止します。