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うえむら まさひさ

植村正久

うえむら まさひさ

1858(安政5)〜 1925(大正14)

明治・大正期のキリスト教の代表的指導者

埋葬場所: 1区 1種 1側 8番

 1873(M6)洗礼を受け、神学校卒業後85富士見町教会を建て、終生その牧師をつとめた。 1904東京神学社を創立、校長として有力な伝道者を養成し、福音を日本に根づかせるために心血を注いだ。 日露戦争に対しては内村鑑三(8-1-16-29)の非戦論を批判して自衛戦争の必要性を説き、小崎弘道(8-1-7-1)・海老名弾正(12-1-7-18)らとともに主戦論を主張した。

<コンサイス日本人名事典>


墓地 碑

*娘に植村環(同墓)がいる。


植村テイ(うえむら てい)
1840.5.17(天保11)〜1888.5.26(明治21)
植村正久の母
 キリスト教牧師の植村正久(同墓)の母。上総国山辺郡武射田村(東金市)の漢方医中村氏の娘。 同村内の1500石を領する旗本植村祷十郎(同墓)と結婚、1857(安政4)12月1日に長男の正久を出産、ついで男子二人をもうける。 維新後、旧領地に帰農した。正久に洋学を学ばせるため横浜に出し、テイは秘蔵の髪飾りを売り授業料に充てる。 正久は両親に反対されたがキリスト教伝道者となり、東京下谷に下谷一致教会を創立し、1877(M10)ごろ一家は下谷へ移転した。 享年48歳。

<日本女性人名辞典144頁>
<五輪塔様より情報提供>


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