熊本県出身。老名弾正の妻。音楽家のみちの母(同墓)。旧姓横井。父は幕末維新期の
政治家であった横井小楠。母つせ子は矢嶋家の出で、竹崎順子、矢嶋楫子(3-1-1-20)らは姉妹。
徳富一敬(淇水)は叔父で徳富蘇峰(6-1-8-13)はいとこになる。
1869(M2)父の小楠暗殺後、熊本に転居し、熊本洋学校.ジェーンズの妻から英語を学び、75徳富(湯浅)
初子(7-1-15)と共に洋学校編入を許される。この時、洋学校生徒の海老名弾正は
女子が男子と一緒に学習することに抗議し、ジェーンズにたしなめられた。
76兄の横井時雄や海老名ら洋学校生徒がキリスト教へ入信を宣言、洋学校閉校後、時雄と東京に遊学。
翌77京都に移って同志社に入学、女学校に在籍して男子学生のクラスで授業を受けた。
同年新島襄から受洗。82兄の勧めで海老名と結婚、群馬県安中、東京、熊本、京都、神戸と夫の任地に従い、
夫を助けて宣教に励む。この間、矢嶋楫子の日本基督教婦人矯風会設立や竹崎順子の熊本女学校創設に協力。
また同志社女学校の舎監を務めたこともある。97から夫が本郷(弓町本郷)教会(12-1-26)牧師として
東京で活躍した20年余は、婦人の活動に従事し、1909には安井てつ(15-1-10-7)らと雑誌『新女界』を刊行、
家庭・教育・結婚などに関して執筆、キリスト教徒の立場から女性の自覚を説いた。
夫の朝鮮伝道、北米日系人啓発運動に従い、18(T7)には夫と共に欧米に赴き、またピッツバーグの
世界キリスト教徒大会で日本婦人代表として講演。20同志社総長となった夫と共に京都に移った。
37(S12)年の夫の死後も、キリスト教連合会婦人会会長などを務めた。
竹崎茶堂・竹崎順子夫妻の墓所の所在地は、熊本市池上町 独鈷山 竹崎家墓地