福岡県柳川出身。基督教伝道者の海老名弾正・美屋(共に同墓)の長男。妹の海老名みち(同墓)は音楽教育家・ピアニスト。号を春舟郎。
東京帝国大学史学科卒業。'24(T15)春舟郎として『春秋樓記』を刊行。'26『子供に聞かせる話』を原田三夫と共著した。
1931(S6)渡米して、米国・サンフランシスコ市にて「北米朝日新聞」を創刊。地元と東京発のニュースを掲載した。'35「新世界日日新聞」と合併し、「新世界朝日新聞」を誕生させ主筆。'37『我が信教の由来と経過』を非売品で発行。日本放送協会嘱託、NHKの論説委員を務めた。'43『カリフォルニアと日本人』を刊行。この間、日米開戦前に帰国している。
'47.4.20 第1回参議院議員選挙に富山県選挙区に日本社会党から出馬するも次点で落選。次いで、'50.6.4 第2回参議院議員選挙においても緑風会から出馬をしたが落選し、政治家の道は絶たれた。享年69歳。
*墓所正面「海老名弾正 / 妻 美屋 之墓」。左側に「海老名みち(道子)墓誌碑」と墓誌が並ぶ。墓誌は「春舟郎」と刻み、海老名一雄を先頭として、海老名ヒサ(S53没)、海老名實枝子(S15没)、笹木グレース妙(1999没)が刻む。弾正墓石の右側には洋型「海老名家」(H14 海老名季正建之)が建ち、裏面が墓誌となっており、海老名雄二(H5没)、海老名季和(H9没)、海老名敏子(H19没)が刻む。この墓石は弾正次男の海老名雄二家代々である。
*弾正と美屋は2男2女を儲けており、長男は海老名一雄、長女のみち、二女の あや は大下某に嫁ぎ、次男の海老名雄二は『千葉今昔物語 新房総歳事記』著者。なお、海老名一雄は徳富蘇峰(6-1-8-13)の二女の孝子(こうこ)と結婚したが離婚した。