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やすい てつ

安井てつ

やすい てつ

1870.2.23(明治3)〜 1945.12.2(昭和20)

明治・大正・昭和期の女子教育者

埋葬場所: 15区 1種 10側 7番

 東京府駒込曙町出身。旧下総古河藩士の安井津守・千代の長女として生まれる。 1890(M23)東京女子師範学校を卒業し、母校の附属小学校訓導として教鞭をとる。この頃、樋口一葉の元で源氏物語や和歌を学ぶ。 一葉の「水上日記」に安井てつのことがしばしば記述されている。岩手県尋常師範学校、女子高等師範学校訓導を歴任。
 1896(M29)家政・教育学研究を目的とする文部省留学生としてイギリスに留学。 トウレーニング・カレッジ校長ヒュースから教育学と教育史を学び、ケンブリッジ大学とオックスフォード大学で教育学と心理学などを修めた。 イギリス滞在中に、キリスト教を根底とする個性尊重と自由・人格主義を体験し、1900帰国後、自ら本郷教会(弓町本郷教会)の牧師であった海老名弾正(12-1-7-18)に懇願し受洗した。 翌年、本郷教会の婦人会が中心となり、看護(病)婦会を組織した際の、創立委員13名のメンバーとなる。なお、このメンバーには、海老名美屋(12-1-7-18)、野口幽香(23-1-60)らもいた。
 女子高等師範学校享受、舎監を兼任。'04学校当局から棄教か退職かと迫られたが棄教を拒否。 学校はキリスト教の感化を恐れて安井を、タイ国(当時はシャム国)バンコク府皇后女学校教育主任に転出させた。 '07任期満了のためシャムを去り、イギリスに再留学し、ウェールズ大学で学ぶ。 翌年帰国して学習院講師となり、'09女子英学塾で津田梅子を助け、また『新女帝』主筆となった。'12東京女子高等師範学校に再任され、付属幼稚園主事もつとめる。
 キリスト教主義女子大学設立計画に際し、新渡戸稲造(7-1-5-11)に要請されて'17(T6)東京女子大学設置理事に就任。 翌年、新渡戸を学長として開校された東京女子大学の学監となる。'19新渡戸と後藤新平とともに欧米を視察し、'23新渡戸の後を次いで二代目学長に就任した。 翌年荻窪の新校舎に移る。'34(S9)旧満州と朝鮮を旅行し、大連、旅順、奉天などで講演をする。'40学長を辞し、名誉学長の称号を受ける。 '42東洋英和高等女学校校長事務取扱となり、'44東洋英和女学院院長代理、交通事故により健康を害し、'45辞任。生涯を進歩的女子教育の向上に捧げた。享年76歳。青山なを著作の『安井てつ伝』などがある。

<コンサイス日本人名事典>
<日本女性人名辞典>
<明治大正を生きた15人の女たち>


安井○茂子

*墓所正面「安井てつ先生墓」。左側に安井てつが没する5ヶ月前の'45年7月に養女となった安井○茂子(1911.11.30-1978.3.4)の洋型墓が建つ。安井○茂子は静岡県浜松市出身で、幼児教育の発展に尽力した人物であり、墓石裏面に略歴が刻む。

※安井○茂子の○の字が読める方、教えてください。


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