佐々木六角氏の歴史

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一 宇多源氏 〜佐々木氏の起源〜


初期佐々木氏系図
 近江の佐々木氏は宇多天皇の皇子敦実親王の系譜を引き、「宇多源氏」とも「近江源氏」ともよばれる。
 その系譜については、敦実親王の子雅信が承平六年(九三六)に臣籍降下して源の姓を賜り、その子扶義は近江守となって現地へ赴任し近江国に一定の権威を持つようになった。扶義の子成頼はその権威を利用して佐々木荘に土着し、成頼の孫経方に至って小脇(八日市市小脇町)に居館を構えて武士化し「佐々木」を名乗ったとされる。


 しかしながら佐々木荘には孝元天皇の皇子大彦命を祖とする佐々貴山氏が古代より勢力を張っており、彼らは佐々貴神社を拠点として「本佐々木」を名乗り佐々木氏に対抗する。
 これら強力な在地豪族の抵抗に遭いながら新興勢力である佐々木氏はどうやって近江に勢力を扶植していったのか。

 現在伝わる佐々木系図を見ると、宇多源氏系の佐々木氏だけでなく、佐々貴山氏を祖とする一族も系図内に組み込まれていることがわかる。これにより佐々木氏は婚姻・養子縁組などで佐々貴氏と血縁を結び、自家に取り込んでその勢力を拡大していったと考えられている.。


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〜佐々木六角氏の歴史〜