「甲子園」の差別と暴力 |
オリンピックにせよ様々な競技の世界選手権にせよ、そこに出場する選手の最近の合い言葉は「楽しんできます」。ただ余りにそればかりを耳にすると、様々なプレッシャーに負けないように自己暗示をかけているようにも思えてきます。 本来スポーツは自己に対する厳しさと競い合う仲間への敬愛によって、肉体のみならず人格を高め合う場のはずです。しかし、観るものを魅了する「爽やかさ」や「興奮」というスポーツの表の顔の裏には、根強い精神主義や封建的な上下関係、すなわち差別や暴力が潜んでいます。 クラブ内の暴行やセクハラは、家庭でのDV(ドメスティック・バイオレンス)や児童虐待と重なります。援助の手もなく声のあがらぬ閉鎖的な空間の中で、非常識が常識に、あってはならないことが仕方のないこととなっていきます。 日本学生野球憲章の「第四章 付則」には、長々と選手や監督の「非行」についての定めがありますが、「厳罰」を伴うルールをいかに定めても意識や構造を変えていかなくては同じ過ちが繰り返されます。 「甲子園」の常連校や国体・高校総体の優勝校の中で日常化している暴力が次々と明らかになってきたのも、「愛のムチ」は「暴力」であり、学校内だろうと家庭内だろうとケガをさせられれば「傷害事件」であり、立場を利用し本人の意思を無視して関係を持とうとすれば「セクシュアル・ハランスメント」であるという認識が、ようやく社会的な常識となりつつあるからでしょう。その常識を持ち得ない学校やクラブは厳しい社会的糾弾を受けざるを得ません。 また、高校生のスポーツの頂点とも思われている「甲子園」は、弱者を拒絶する差別の歴史を持ってきました。 沖縄県立北城聾(ろう)学校の聴覚障害を持った高校生が「甲子園」への一歩を踏み出すのにいかに苦労をしたか。当時(1981年)の野球憲章では、甲子園(硬式野球)への地区大会参加資格を学校教育法「第四章 高等学校」に定める者のみに限り、聾学校などの養護学校のように「第六章 特殊教育」に定められた学校の生徒は、軟式野球への参加しか認められていませんでした。 度重なる参加要請に対する高野連の拒否の理由は「ケガをしたら困る」でした。「健全な球児の祭典」という意識の底に、選民意識が潜んでいるとはいえないでしょうか? その壁を乗り越える軌跡は戸部良也さんの著書(双葉社)「遙かなる甲子園―聴こえぬ球音に賭けた16人」(今は書店での入手不可。ただしコミックス版の「遥かなる甲子園」双葉社は入手可)にも描かれ、映画化もされ、最近では”関西芸術座”が完成度の高いお芝居にして上演していますので是非ご覧ください。 また、同じ高校生でありながら、外国人学校に通う球児達に対しても、長く門を閉ざしてきました。参加可能に規約を変更し「外国人学校野球部の取り扱い〔特別措置〕」を定めたのは1992(平成4)年になってからです。2001年の夏、京都大会で韓国学校は記念すべき京都府大会での「1勝」を上げました。そして、そこには女子部員もいたのです。 そして、今。2001年の春、男子部員とともに練習を重ね、実績も積み重ねてきた女子部員の公式戦への出場を、高野連はまたしても「安全面の問題」を盾に参加者資格規定の変更を拒否しています。 「男らしさ」「男の世界」へのこだわりが、歪んだ精神を生み出す場合さえあるかもしれません。 また、不登校など様々な事情を抱えた生徒の受け皿となっている通信制や単位制の学校の生徒についても、厚い壁が立ちふさがっています。 華やかな熱戦を繰り広げる「甲子園」をリアルに見つめることで、私たちが打ち破らねばならない社会の壁を見ることが出来るのかもしれません。 付記:2005年の夏の甲子園では南北海道代表の駒大苫小牧高校が連覇を果たしました。しかし優勝直後、野球部長による暴力事件が発覚。高野連会長が「暴力のない高校野球を目指して」と題した緊急通達を出しました。その全文を載せた記事紹介はこちらから。 |
2005年8月28日一部更新 |
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