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N143 女性とスポーツの特集   野球
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記事紹介の留意事項










































































京都
2010/10/13
No .N143k101013xxx




日本女子プロ野球リーグ
シリーズ・特集;http://www.kyoto-np.co.jp/kp/rensai/syuzainote/2010/101013.html
見出し:
女子プロ野球 「地域に根ざす」手応え
メモ :
今春開幕した日本女子プロ野球リーグが、間もなく1年目のシーズンを終える。女子野球の普及への確かな手応えとともに、課題も浮き彫りになった今季を振り返った。

「女子野球部がない」「公式戦に出られない」。さまざまな壁に阻まれ、野球の道を閉ざされていた女性に「夢を持てる舞台を」と、女子リーグは大きな目標を掲げて歩み出した。健康食品会社「わかさ生活」(本社・京都市)が出資した日本女子プロ野球機構が運営し、2010年4月、わかさスタジアム京都(右京区)に拠点を置く京都アストドリームスと、兵庫スイングスマイリーズの2球団でスタートした。それぞれ選手15人が所属し、前後期制の年間40試合を戦っている。

当初は観客数への懸念もあったが、これまでの38試合で計約5万9千人が観戦した。1試合平均は1550人で、運営難にあえぐ関西独立リーグの626人(1年目)や四国・九州アイランドリーグの1068人(同)を上回っている。さらに後期は、神宮球場など関東でも開催し、観客数は前期の約1.5倍に増えている。

2球団なので同じ対戦が続くが、機構の片桐諭代表は「大風呂敷を広げず、地域に根ざすことに重点を置いた」と説明する。選手は地域のイベントに積極的に参加し、中学生以下の子どもや18歳以下の女性を無料で試合に招いている。京都のファンクラブ会員は120人を超え、選手とファンが試合後に交流する光景は当たり前になった。地道なファン獲得策が奏功しているといえそうだ。

半面、課題も少なくない。1年目は「新鮮さ」もあって多くのファンが球場に足を運んでいるが、目標の10万人には届きそうにない。片桐代表は「いかに新たなファンを増やしていくかが課題。関東では知名度が低く、まだまだPRが足りない」と危機感を持つ。機構は「女子野球の普及の第一歩はリーグの浸透」と位置づける。来季に向けたトライアウト(入団テスト)の受験者は2009年に続いて100人を超え、関西の高校には女子硬式野球部を創設する動きもあるが、潜在的な選手の掘り起こしも始まったばかりだ。

プレー面でも、一層のレベルアップが求められる。京都の大熊忠義監督(元阪急)、川口知哉コーチ(元オリックス、平安高出身)をはじめ元プロ野球選手がチーム強化を担い、開幕当初に見られた失策の連続から大量失点する場面は減った。それでも、両チームの失策は計110を超え、本塁打もまだ出ていない。機構の太田幸司スーパーバイザー(元近鉄など)は「環境が整い、着実に成長している。その姿を見てもらいたい」と強調する。

ファンに魅力を尋ねると「野球が好きという気持ちがプレーにあふれている」との答えが多い。高校野球にも似た選手の熱い姿がファンを引きつけているのは確かだ。こうした魅力を土台に、地域の市民球団として全国の女性選手の「あこがれ」として、根を張っていけるのか。今後も女子リーグから目が離せない。

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朝日
2010/10/16
No .N143a101016xxx
東京都/墨田区
中学2年生

14
泉由希菜
シリーズ・特集;http://www.asahi.com/sports/bb/TKY201010160150.html
見出し:
都中学大会V、捕手は女子 強肩強打、逃げずにブロック
メモ :
捕手としてチームをまとめ、打っても中軸――東京都内の中学校の軟式野球部が参加した今夏の大会で優勝した墨田区の区立鐘淵(かねがふち)中学校の泉由希菜(ゆきな)さん(14)は2年生の女子生徒だ。球速120キロ台のボールを受け、「投げやすいし、気持ちを楽にしてくれる」と投手の信頼も厚い。夏秋連覇をかけて臨んだ秋の都大会で2010年10月16日、初戦を突破した。

江戸川区の江戸川グラウンドで開かれた都大会1回戦の相手は明大明治中。初打席の泉さんの快音が響いた。1回表2死走者三塁から、5番打者の泉さんが放った三塁への強襲安打で2点目をあげた。3―0で初戦を勝利した。

鐘淵中野球部は、泉さん以外、全員男子だ。身長163センチの泉さんがチームの中に入ると目立つ存在ではない。しかし、2年生でレギュラーをつかみ、夏は区大会、7月の都大会で5日間で6試合を勝ち抜いて優勝。都内630校の頂点に立った。

都大会の3回戦では、足立区代表の強豪校と対戦。同点で迎えた最終7回裏、泉さんの中前安打をきっかけにサヨナラ勝ちした。「勝って泣いたのは初めてでした」。関東大会でも8強に残った。

自分より背の高い3年生が本塁へ突入してきてもブロックで逃げない。同中野球部の国安稔監督(73)は「男の捕手でもかなわない。関東大会でも相手がびっくりしていた」と話す。

泉さんが野球を始めたのは6歳のころ。同じように野球をしていた2歳上の姉、由有樹(ゆうき)さん(16)の影響があった。小学校に入学すると「キャッチャーミットがほしい」とねだり、少年野球チームで活躍。同中の投手の渡辺弘輝君(14)とは小学4年生からバッテリーを組む仲だ。

父の健一さん(43)は「男の子に負けるな」と言い続けてきた。試合での打撃が振るわなかった時は5時間近く素振りをさせたこともある。中学校では由有樹さんが投手をしていたこともあり、迷わず野球部に入った。

いまや泉さんはチームにとってなくてはならない存在。投手陣の柱は渡辺君と北竜馬君(14)の2人だ。北君は小学生時代、泉さんや渡辺君たちとライバルチームのエースだった。2人は「男よりも肩が強いし、盗塁も刺す。サインもすべて任せている」。ファウルチップの打球が泉さんの体にあたり、青あざになることもたびたびだ。

男子の中で、女子が1人。健一さんは「男の子との力の差は感じていると思う」と話す。実際、泉さんも「長打が少なくなった」と感じる。それでも「強い打球で、守備の間を抜く中距離打者として頑張っていく」と前向きだ。

夢は、姉の由有樹さんが通う蒲田女子高校硬式野球部で、姉妹バッテリーを組むこと。その前にまず、夏秋連続の都の頂点を目指す。「目標にされる立場になった。気をひきしめて一戦一戦大事にしたい。そして来年の夏はみんなで全国大会に行きたい」


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京都
2009/11/24
No .N143k091124xxx




日本女子プロ野球機構
シリーズ・特集;http://www.kyoto-np.co.jp/article.php?mid=P2009112400190&genre=L1&area=K00
見出し:
女子プロ野球入団選手30人発表  京の小西さんら 平均年齢21.6歳
メモ :
2010年4月に開幕する女子プロ野球リーグを運営する「日本女子プロ野球機構」は2009年11月24日、トライアウト(入団テスト)に合格した入団選手30人を発表した。女子野球で日本代表経験のある小西美加さん(26)=京都市上京区出身=やソフトボール、軟式野球の経験者、陸上やり投げでインターハイに2年連続出場した萩原麻子さん(17)らの名前が並んだ。

入団する30人は17〜33歳で、平均年齢は21.6歳。同機構は10月30日に京都市右京区のわかさスタジアム京都で、今月4日には西武ドームでトライアウトを実施。2会場で参加した計129人から選んだ。

30人は京都と関西地区(本拠地未定)の2球団に分かれ、2010年4月からの開幕シーズンは年間30〜40試合を実施する。2球団のチーム名称やユニホーム、選手の所属チームなどはr来月中に決まる予定。


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朝日
2009/07/30
No .N143a090730xxx

プロ野球選手


関西独立リーグ、神戸9クルーズ
シリーズ・特集;http://www.asahi.com/sports/baseball/npb/news/OSK200907300062.html
見出し:
ナックル姫・吉田えり投手休養へ 監督解任にショック
メモ :
野球の関西独立リーグ、神戸9(ナイン)クルーズに所属する吉田えり投手(17)が一時休養することになった。吉田は2009年7月30日、前日に中田良弘前監督(50)が解任されたのを受けて大阪市内で取材に応じ、「ショックです。(神戸を)辞めるかどうかは分からない。一番の願いは監督さんが戻ってきてくれること」と話した。前夜から胃の調子が悪くなり、この日の練習を休んで病院に行き、チームを離れて神奈川県内の実家へ戻った。再合流は未定だが、「野球は続ける」としている。

吉田の休養について、神戸の広田和代社長(48)は「監督の解任でショックを受けると思い、事前に父親に電話はした。所属事務所とも連絡はとるが、今はそっとしておき、少し休ませてあげたい」と語った。


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朝日
2008/11/16
No .N143a081116xxx

高校2年

16
吉田えり、神戸9クルーズ
シリーズ・特集;http://www.asahi.com/sports/bb/OSK200811160002.html
見出し:
日本初、女性プロ野球選手 関西独立リーグで誕生へ
メモ :
近畿4チームが参加して2009年4月に開幕する野球の関西独立リーグのドラフト(新人選択)会議が2008年11月16日、大阪市内であり、神奈川県立川崎北高校2年の吉田えり投手(16)が、神戸9(ナイン)クルーズから7位指名を受けた。吉田は高校を転校して入団する意向で、契約すれば、男性チームでプレーする日本で初めての女性プロ野球選手となる。

大阪での記者会見では「活躍して将来はセ・リーグかパ・リーグを目指したい」と照れながら話した。身長155センチ。右下手投げから、揺れながら落ちるナックルボールを操る。野球は、兄・勇介さん(19)の影響で小学2年から始めた。今回のトライアウトも一緒に受けたが、山梨・帝京三高でプレーした兄は1次選考で落選した。中学の軟式野球部ではレギュラーの一塁手。その後は投手に転向し、クラブチームでプレーしてきた。

同リーグの入団テストには410人が応募。81人による最終テストで、1回を無安打に抑えた。神戸の中田良弘監督(元阪神投手)は、「ナックルは捕手が後ろにそらすほど落ちる。話題性でなく、結果を残したから指名した」と話す。

日本では戦後、女性によるプロ野球リーグが開かれたことがある。




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朝日
2005/08/28
朝刊 27面 No .N143a050828m27




日本高校野球連盟/脇村春夫会長
シリーズ・特集;
見出し:
高野連会長通達(全文)/暴力許す体質断とう
メモ :
「暴力のない高校野球を目指して」

今般、全国高等学校野球選手権大会で57年ぶりの連覇の偉業を成し遂げた北海道・駒大苫小牧高校の野球部責任教師が、これまで2度にわたって部員に暴力を加えていたことが判明しました。なかでも8月の暴力行為は、甲子園入りしてからの宿舎内で起き、先の明徳義塾高校の反省が全く生かされておらず、慚愧に堪えません。

日本高等学校野球連盟は、戦後一貫して暴力絶滅を強く訴えてきました。特に上級生が無抵抗の下級生に対し、制裁を科す行為は厳しく戒めてきました。

その後の調査の中で、加害者は暴力に及んだときの理由について注意をしたことを守らない、逆に不遜な態度をとったから、などを挙げています。

自分の考え・思いを相手に伝えるのに、暴力という手法が本当に有効でしょうか。暴力で相手を封じる行為は一般社会でも厳しく戒められています。

体育会系の部活動では多少の暴力は許されるとか、以前からあった、などというのは誤った考えであり、長い間引きずってきたこうした暴力を許す体質を指導者がどう断ち切っていくかが厳しく問われています。

学校教育活動として行われている部活動では生徒間の暴力はもちろんのこと、指導者の暴力もいささかも許されるものではありません。学校教育法では、いかなる暴力も明確に禁止されています。

指導者が自制なく暴力を振るってしまうようでは、日本高等学校野球連盟が長年にわたって訴え続けてきた「暴力絶滅」は到底達成することはできません。

また仮に指導者の不祥事で大会の出場が危ぶまれたり、選手たちが努力した試合成績まで取りざたされて無に帰すようなことになった場合、その指導者は部員たちにどのような説明をするのでしょうか。まさに寒心に堪えません。

最近生徒間で目立つ暴力行為では、いじめ行為があります。加害者はからかい半分でも、それが徐々にエスカレートして被害者の身体ばかりか、精神面にも重大なダメージを与えている事例があります。“いじめ”はスポーツマンシップに最ももとる行為です。

相次ぐ不祥事をふまえ、この機会に全国の加盟校指導者と選手、部員の皆さんに、暴力のない、暴力を許さない野球部を目指して改めて次のことを厳守いただきたいと強く要望します。(以下要項)

 (1)暴力のない、暴力を許さない野球部の確立
 (2)事後の迅速な対応と決断
 (3)校内審議機関での正しい処理



管理人:日本高野連のサイトに掲載されている「日本高野連発第W2975号平成17年8月27日」には、上記三項目について次のように説明が加えられています。

      記

1. 暴力のない、暴力を許さない野球部の確立

指導者はもちろん部員間の暴力も厳禁です。相手の行動をたしなめようとした善意に対して、不遜な行為でこたえたことが暴力を振るうきっかけになったことが余りにも多く見られます。感情のままに指導してもよい結果は得られません。

暴力を受けた方も振るった方も心の傷は長く残ります。少しぐらいならとか、言っても聞かないから、などは全く理由になりません。暴力を振るうのは相手の人格と誇りを踏みにじるものです。

また、体罰と見られるような制裁も是非戒めてください。このような方法では、豊かな人間性を培うことを目指す野球人を育成することはできません。

2. 事後の迅速な対応と決断

今回大きな波紋を呼んだ明徳義塾高校と駒大苫小牧高校では、不祥事が発生し、その後の事実を確認したあとも、所属連盟への報告がなされなかったことも問題となりました。投書や告発で明るみに出たことは決して少なくありません。報告の遅れや隠蔽は発生した事件そのものよりフェアではないと厳しい批判にさらされることになります。不祥事があったことを拭い去ることはできません。不祥事が発生した以上、その時点で最善の方法で事後の対応を迅速にとり、可能な限り対外的にも説明責任を果たしていくことこそが、問題の波紋を最小限に留める最良の方法なのです。

3. 校内審議機関での正しい処理
最近起きた不祥事の中では、学校内の生徒指導部会など定められた審議機関に諮らず、また学校長にも報告がなされないまま、野球部内での“処分”で済ませている事例が目立ちます。野球部の指導者としては非行の内容や本人の反省の度合いを見て野球部内で処理しようと好意的に処理したかに見えますが、他から見れば結果的にそれが不公平に映り、不満として蔓延し、投書・告発に繋がっています。
                                             以 上



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朝日
2005/07/04
No .N143a050704xxx
神奈川県
高校2年


関東学院/戸井美里
シリーズ・特集;マイタウン神奈川  http://mytown.asahi.com/kanagawa/news01.asp?c=15&kiji=828
見出し:
ゆっくりゆっくりめざそう甲子園 B 女子部員
メモ :
日焼け止めを塗る時間はない。肩まであった髪は頭からざぶざぶ水をかぶっても乾きやすいよう、3年前に耳たぶの長さでばっさり切った。何でも野球が最優先。関東学院(横浜市南区)唯一の女子部員、戸井美里さん(2年)。二塁手として男子部員30人と一緒に今日も練習に汗を流す。

幼いころから運動好き。テレビでプロ野球の試合を見て「女の子がやったら珍しいかな」と、小学4年で少年野球チームへ。1球で流れが変わる面白さにのめり込んだ。関東学院中に入学、迷わず野球部に入った。

中学3年の秋。進路で迷っていた。関東学院高に上がって野球を続けても公式戦には出られない。女子の硬式野球が盛んな神村学園(鹿児島県)への進学も考えたが、女だからと特別扱いせずにいつも本気で球を投げて来る仲間の顔が浮かんだ。「ここで野球を続けよう」と決めた。

体格差は否めない。身長160センチ。50メートル6秒台の選手が多い中で7秒5。取り残されたくない。容赦ないノックやミスした時の仲間の怒鳴り声がうれしい。連続ダッシュやベンチプレスでも弱音は吐かない。

マネジャー室で着替える以外、男子部員と変わらない。「黙々と練習についてくるから、特別扱いする必要がない」と若松貴洋監督。末吉優一主将(3年)も「基礎がしっかりしていて守備がうまい」と一目置く。

少し憂うつなのは他校との練習試合前のシートノック。「あれ、女?」。ざわざわし始める。でも試合後に「頑張って下さい」と声をかけられると、素直にうれしい。

公式戦には出られないと、わかっているつもりだった昨秋の県大会地区予選。ベンチ裏にいすを持ち込んで声援を送っていた。チームが逆転すると、ぽろぽろ泣けてきた。フェンス越しの仲間が遠く感じられた。マネジャーの阿坂友梨さん(2年)がそっとタオルを持ってきてくれた。喜びに沸く仲間の後ろで悔し涙を流し続けた。自分も勝負がしたかった。

3月、女子硬式日本代表の選考試験に挑んだ。落選したが、最終選考まで残った。萩本欽一さんが監督のクラブチーム「ゴールデンゴールズ」の片岡安祐美選手ら、トップレベルの女子選手のプレーを間近で見た。また受けるつもりだ。

最近、他校の女子部員から「いろいろ教えてください」と声を掛けられた。後輩ができた気がした。ときどき携帯メールで悩みを相談し合う。

女子部員が甲子園でプレーできるのはいつだろう。でも「まずは『お前が出なかったから負けた』と言わせる実力をつけたい」。この夏はスタンドから声援を送る。




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朝日
2005/06/19
No .N143a050614xxx
東京都
高校1年

16
都永山高校/土田麻結
シリーズ・特集;マイタウン東京 http://mytown.asahi.com/tokyo/news01.asp?c=13&kiji=48
見出し:
高校野球に行こう!第1部 なでしこ 白球への思い重ね
メモ :
Take me out to the ball game

ショートヘアに黒縁めがね。中島美嘉の歌が好き。そんな土田麻結(まゆ)さん(16)はこの春、都永山に入学した。そして、高校生活の舞台に、男中心の硬式野球部を選んだ。

毎日約2時間、男子部員と同じ練習をこなす。身長174センチ。1年生の中だと、見劣りはしない。

日本高野連の規則で、女子は公式戦に出られない。それを承知で週6日、練習に加わる。理由は「甲子園」以外にも目指すものがあるからだ。「将来、野球で有名になりたい。男子と一緒の練習をすることでスピードや力をつけたい」

大学野球部かクラブチームで活躍し、日本代表になるのが卒業後の目標だ。今も、日曜日は町田市の女子チームで活躍している。

三上雅章監督(46)は「公式戦に出られなくても、目標をしっかり持っている。3年間続けてほしい」とエールを送る。

◎◎◎


今年1月、1人の女子選手が注目を集めた。萩本欽一さん(64)率いる「茨城ゴールデンゴールズ」の片岡安祐美(あゆみ)さん(18)だ。

熊本県出身で、高校時代は土田さん同様、男子に混じって白球を追った。目標は「甲子園でプレーすること」だった。小学4年生の夏、テレビで見た甲子園にあこがれ、野球を始めた。中学生ながら日本代表に選ばれるまでになった。

高野連の規則を知ったのは中学3年生のころ。甲子園をあきらめ、女子野球部のある高校への進学も考えた。それでも「実力がつけば出られるようになるかも」と信じ、古豪・熊本商野球部に入った。高校生最後の昨夏、熊本大会で始球式を任された。でも結局、試合には出られなかった。

自分ががんばることで、野球を始める女子が増えるかもしれない。彼女たちが甲子園を目指したら??。片岡さんは今、そんなふうに思っている。「これから始める女子に、同じ悔しさは味わってほしくない。性別じゃなく、実力で出場できるか判断してほしい」

◎◎◎

「町田スパークラーズ」。土田さんも所属するこのチームは創部15年目。選手兼監督の鈴木慶子さん(37)は日本人女性で初めて、米国の女子プロリーグに入り、4年間のプレー経験もある第一人者だ。

男子の中にいた選手は確かにスピードが違うと認める。だが、男子と一緒に試合に出ること自体に、価値は置かない。女子野球がイメージしにくい時代に育ち、実際、高校時代は野球をしなかった。

硬式と軟式をあわせた女子野球の国内人口は約130チーム、3千人を超すとされる。「高齢者が楽しめる大会を作ったりして、幅広い年代の女性に野球を定着させたい」。それが鈴木さんの目指すところだ。

都高野連によると、加盟校の女子部員は695人。大半はマネジャーだ。毎年数人の女子部員が男子と共に練習しているが、詳しい人数はわからないという。

今年の大会でも、彼女たちは記録員としてベンチ入りするか、スタンドで応援することになる。


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朝日
2005/06/09
No .N143a050619xxx
香川県/高松市
高校1年

15
高松中央高校/枦原幸世
シリーズ・特集;マイタウン香川 http://www2.asahi.com/koshien/kagawa/news/TKY200506250204.html
見出し:
新設野球部に女子選手 高松中央高
メモ :
今年4月、硬式野球部を創設した高松市の高松中央高校に、県内唯一の女子球児がいる。今春入学した枦原(はぜはら)幸世さん(15)。「とにかく野球が好き。驚く人もいるけど入部は自然な流れかな」。日本高野連の規定で公式戦出場はできないが、男子部員と一緒にグラウンドに立ち、ボールを追う毎日だ。

「もう1球お願いします」。三木町の練習用グラウンドに、枦原さんのかけ声が響く。打球めがけて横に飛び、素早く体勢を立て直して送球。「もっと腰落とさんと」「それぐらいとれんでどうするっ」。泥だらけの練習が続く。

枦原さんが野球を始めたのは小学2年生。友達の女の子が入っていたスポーツ少年団に、気軽な気持ちで入団した。チームには、他にも女の子がたくさん。「楽しんで野球をやりよった」

でも中学になると、どこも野球部員は男子だけ。入部は許可されないだろうと、ハンドボール部に仮入部した。だが枦原さんの希望を知った監督が入部を許可。唯一の女子野球部員になった。

それからが大変。小学生のころは気にもならなかった男女の体力差に悩むことが増えた。球のスピードについていけない。肩が強くならない。同じ練習をしているのに自分だけ成果が出ない。「私が野球やることに、意味あるのかな」。本気で辞めたいと思うこともあった。

でも「せっかく入部したし辞めたらもったいない」と踏ん張った。3年生になると「あいつ女子やん」と好奇の目で見られながら、二塁手として試合に出場。中3の夏、部活を引退したときは「完全燃焼!」と思った。

でも野球から離れてみると、「投げたい、打ちたい」と体が訴えてくる。やっぱり自分は野球が好きなんだ。

入学を希望していた高松中央に硬式野球部が創設されると知り、入学式の日、真っ先に野球部の山田康夫監督(48)に「お願いします」とあいさつに行った。

監督は「野球が好きで飛び込んで来る気持ちに男女の差はない」と入部を受け入れた。「グラウンドでは特別扱いしない」。だが初めての女子選手。悩みもあるのではと気になった。

練習場まで車で移動中、監督は聞いたことがある。「入部して悩むことはないか」。返ってきた言葉は「打撃も守備ももっと上達したいのに、思うようにいかない」。技術に関する悩みだった。「ちょっと安心した。野球への強い思いを大切にしてやりたい」

肩や腰にボールが当たることも度々ある。球速120キロのバッティングマシンでの打撃練習では、初めて握る金属バットに手がしびれる。でも、もう中学の時のように悩むことはない。「硬式は初めてだから痛くて怖いのは当たり前」

そんな枦原さんを、他の部員も「当たり前」に受け入れている。「女子だからとか意識することはない。それよりも、一生懸命やっているのを見ると負けていられないという気持ちになる」と、2年生の横山巧君(16)。

新設野球部の部員は1年生14人、2年生3人の計17人。「野球は1人じゃなくてみんなで協力し合ってするところがいい」と枦原さん。初めての夏、公式戦に出場できるのは「在学する男子生徒」と決められているので出場はできないけれど、一勝を目指す思いは仲間と同じだ。


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朝日
204/06/29
No .N143a040629xxx
奈良県
高校3年

17
耳成高校3年
シリーズ・特集; http://www2.asahi.com/koshien2004/nanboku/MYT200406290158.html
見出し:
奈良 球人九色(1) 県内ただ1人の女子球児
メモ :
緊張感、共有した

外野で受けるノック。抜けていくボールを追いかける。息があがる。

ランニング。前を行くチームメートの背中が、どんどん遠くなっていく。

耳成の3年、梅本由紀(17)は、県内約2千人の高校球児の中でただ1人の女子。男子と同じ練習をこなすのがやっとの毎日だが、それでも野球が好きでたまらない。

  ◆

小学2年の時、二つ年上の兄の練習を見に行ったのがきっかけで野球を始めた。6年になると、少年野球チームで一塁を守り、4番を打った。

中学でも野球部に。それまで試合で見かけていた他チームの女子選手は、いなくなっていた。

練習を終えて帰宅してからも、高校球児だった父と兄に鍛えられた。素振りに2時間を費やすことも。2年の秋、右翼手レギュラーの座を勝ち取った。

受験を控えた3年の冬、女子を受け入れてくれる野球部を探して高校を回った。

「ソフトボールの方がいいんちゃう?」

「マネジャーはどう?」

投げるのも、打つのも、盗塁や牽制も、なぜだかわからないけど、野球のすべてが面白い。どうしても続けたかった。

「本気でやるんなら構わない」。5番目に訪れた耳成で、監督の河井泰晴(41)はそう言ってくれた。

  ◆

身長172センチ。体格的には男子に見劣りしないが、体力差は広がっていた。

「お前はこれくらいでやめとけよ」

仲間は気遣ってくれるが、必死についていく。「やると決めたんだから、甘えてはいられない」。口には出さずに、そう思う。

2年の秋、他校との練習試合。思い切りバットを振った。打席に立ったまま、ボールが右翼手の頭上を越えて行くのを見ていた。それから懸命に走って三塁に滑り込み、セーフ。

思わずガッツポーズが出た。高校に入って初めて放った安打が、忘れられない。

  ◆

高校野球規則で、女子は選手登録ができない。昨夏の奈良大会は、スタンドから先輩を見守った。レギュラーになれないことは最初からわかっていたことだ。

仲間たちのもっと近くで、いっしょに戦っている緊張感を共有したいと思うが、女子は試合中、グラウンドに入ることもできない。

河井は県高野連の役員にかけ合った。奈良大会が開幕する2004年7月14日。県立橿原球場での開会式後の第1試合で、梅本は始球式のマウンドに立つ。


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朝日 2003/08/03 朝刊 30面 No .N143a030803m30
熊本県 高校2年 16 熊本商業高校/片岡安祐美
シリーズ・特集;  夏を託して  地方大会から 4
見出し:
いつか同じ舞台に/日本代表の女子部員/熊本商
メモ :
代表校の甲子園練習が始まった2003年8月1日、熊本県庁に近い熊本商(熊本市)野球部グラウンドでは新チームの練習が続いていた。部員約50人の中に頭一つ分背が低いユニホーム姿がある。2年の片岡安祐美さん(16)、チーム初の女子部員だ。

身長153センチの体で内野を駆け回る。フリーバッティングで、何本かを外野に飛ばす。この1年4カ月、男子と同じ練習メニューをこなしてきた。次の主将候補に考えたほどという大里尚純監督(35)は「野球センスがあり、走攻守そろった選手」と信頼する。

「野球をやりたい」。両親にこう打ち明けたのは、小学3年の時だ。幼い頃から毎年夏になると、テレビで高校野球を見ていた。「顔に当たったらどうする」と心配する母親由美さん(43)をよそに、キャッチボールやランニングに明け暮れた。中学では3年でレギュラー入りし、二塁手を務めた。

高校でもと思った。しかし、日本高校野球連盟の規定で、女子の公式戦出場は認められていない。一度は、女子硬式野球部のある県外校への進学を決めた。だが気持ちは揺れる。中3の夏休みに訪れた甲子園が忘れられない。

太陽が照りつけるグラウンド、満員の観客。胸がざわつくような興奮を覚えた。「試合に出られなくても、チームと甲子園を目指したい」。夏の大会3回出場の古豪・熊本商を選んだ。

2003年7月15日。チームは熊本大会3回戦で昨夏の代表校熊本工と対戦した。「いけいけ、クマショー」。一塁側応援席から甲高い片岡さんの声援が響く。主将だった3年の加藤昌夫君(17)は「ベンチにまでずっと声が聞こえていた。励まされました」。

0-0で迎えた9回裏。熊本工の4番打者が1死二塁から右翼線に適時打を打ち、サヨナラ負けした。相手校に「1」がついた電光掲示板を見て、大泣きした。

その熊本工は、熊本大会を制し甲子園初出場を決めた必由館(ひつゆうかん)に準々決勝で敗れた。

片岡さんにはもう一つの顔がある。女子硬式野球日本代表チームのメンバーだ。2002年9月、米国で開かれた第2回女子野球世界選手権に二塁手で全7試合に出場し、通算3割5分7厘の打率で準優勝に貢献した。8月下旬、豪州で開かれる第3回選手権では「世界一」に挑む。

練習で高校野球をテレビで見る時間はない。試合結果は新聞で読み、スクラップするつもりだ。「みんな甲子園で思いっ切り楽しんでほしい」と望む。

片岡さんは新チームの主将、福富豊君(17)と来年は甲子園に行こうと約束した。その先には、関東の大学で硬式野球部に入り公式戦に出場する夢と、先生になり監督になる夢がさらにつながっている。


管理人:片岡さんの前の記事紹介「2人の女子部員 練習通じ、チームと一体  2003/06/27」はこちら。


打撃練習の守備につく片岡安祐美さん(左)=熊本市神水1丁目の熊本商業高校グラウンドで
写真は http://www2.asahi.com/koshien2003/special/OSK200308030015.html

野球のはじめにもどる















































朝日
2003/07/27
朝刊 31面 No .N143a030728m31
京都府
マネジャー

18
小倉かさね
シリーズ・特集;
見出し:
2年半の感謝始球式に込め/南陽マネ・小倉さん
メモ :
85回大会を記念した「特別始球式」は、準決勝では第1試合で南陽野球部の3年生マネジャー、小倉かさねさん(18)が登板した。「2年半の感謝を込めて投げた。うれしかった」と笑顔を見せた。

9回2死からでもあきらめなければ逆転できるところにひかれ、小学校低学年のころから野球観戦を始めた。南陽に進み、夢だったマネジャーになった。「あこがれのマウンドで投げてみたい」と始球式に応募し、抽選で決まった。南陽は今大会初戦で敗退したが、その後も部員からアドバイスを受け練習してきた。捕手だけを見て投げた。球は大きく右にそれたが、スタンドからは大きな拍手が起こった。


野球のはじめにもどる





















































朝日
2003/07/17
No .N142a030717xxx
福井県
高校3年生


敦賀工業高校・遊津梓
シリーズ・特集;球場で会おう 夏にかける球児たち 3 http://mytown.asahi.com/fukui/news01.asp?c=4&kiji=376
見出し:
好きだから仲間と/敦賀工の女子部員/・・・試合に出たのはわずか 守りで打球来ず悔しい思い・・・
メモ :
敦賀工野球部の練習はいつも最後に部員全員が輪になって500回の素振りをして終わる。頭の中に投手をイメージし、「内角高め。いち、に、さん、しー……」と部員1人が10回ずつ交互に声を出す。部員35人で約1周半。途中で高い声の部員に代わった。遊津梓(あそづ あずさ)だ。

梓は県高野連に登録している野球部員の中でただ一人の女子部員だ。髪は短く切り、帽子の中におさめている。練習には女子向けの特別なメニューがあるわけではないが、3年間、練習はほとんど休まなかった。竹内正人監督は「大変なことだと思う。正直驚いている」と言う。梓は「野球が好きだから、休む理由がなかっただけ」と笑う。

◇◆◇

野球を始めたのは小学3年の秋。兄が所属していた学童野球の練習試合を見に行って、監督から「明日から来なさい」と声をかけられた。翌日から小学校のジャージーを着て参加した。6年まで続け、粟野中学校に進学してからも野球部に入った。

高校入学前、「硬式は軟式とは別のスポーツだ。女のやるもんじゃない」と兄に言われ、少し迷った。しかし粟野中野球部で一緒だった男子部員で同じ高校に進んだ4人が野球部に入ることを知り、「また仲間と野球がしたい。甲子園を目指したい」と入部した。「テレビで見る野球は高校野球だけ。部員全員で甲子園をめざすのは、他の野球とはぜんぜん違う魅力がある」と話す。

梓が高校3年間で試合に出たのはわずかだ。2002年8月の練習試合は3回から右翼手で守りについた。1打席目は空振り三振。2打席目はボテボテの遊ゴロだった。

「打てなかったことより、守備についていて右翼に打球が来なかったのが悔しかった」と振り返る。「守る方が好き。ボールがグラブの真ん中におさまったときの感触がたまらないから」
 
2003年7月13日の練習試合には右翼手として出場。雨のため途中で中止になり、打席は回ってこなかった。
 
◇◆◇

梓が2年前に入部してきたとき、県内のほとんどの報道機関がインタビューを申し込んできた。しかし、竹内監督は「彼女が3年になるまで待ってください」とすべて断った。

特別な実績のない1年生が女子というだけでメディアに取り上げられることを、2、3年生が面白いと思うはずはないと考えたからだ。「野球が大好きな一部員が、他の部員とのあつれきで部にいづらくなることは避けたかった」と思いやる。

梓はその配慮に気付いている。「親や部員に助けられてきた3年間だったけれど、部を続けられたのは私を特別扱いしなかった監督のおかげ」と話す。

◇◆◇

梓にとって3年間で最後になる夏の大会は選手としては参加できない。日本高野連の大会参加規定には「その学校に在学する男子生徒」という項目があり、女子部員の参加を認めていない。しかし、「もし男だったとしてもベンチ入りできる実力はないから、私には規定は関係ない」と言う。

19日に開幕する福井大会では記録員としてベンチに入る。「最後まで仲間たちと同じ場所で大好きな野球を楽しめる。最高です」(敬称略)


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朝日
2003/07/16
No .N142a030716xxx
岡山県
高校3年生

18
倉敷天城高校・小原由未恵
シリーズ・特集; http://mytown.asahi.com/okayama/news02.asp?c=4&kiji=185
見出し:
全国高校野球選手権岡山大会、あす開幕
メモ :
第85回全国高校野球選手権記念岡山大会が2003年7月17日に開幕する。参加校は昨年より1校多い55で、2校の合同チームがあるため、チーム数は昨年と同じ54。開会式は午前10時からマスカットスタジアムであり、備前・緑陽−倉敷古城池戦で、甲子園を目指した球児たちの戦いが始まる。

 開会式では倉敷天城の石井裕太主将が選手宣誓。開幕試合の始球式には、同じく倉敷天城の女子野球部員小原由未恵さん(18)が登板する。17日は県営、倉敷市営でも各1試合があり、18日は休養日。19日は津山市営も含めた4球場で熱戦が繰り広げられる。24日は予備日で、決勝は27日午後1時から、マスカットスタジアムである。


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朝日 2003/06/27 No .N143a030627xxx
熊本県 高校2年 大矢野高校・川崎恵理佳、熊本商業高校・片岡安祐美
シリーズ・特集; 白球に恋して上  http://www2.asahi.com/koshien2003/special/iOSK200306280013.html
見出し:
2人の女子部員 練習通じ、チームと一体
メモ :
ブラウン管を通じて1人の少女が身震いした。

1998年夏。第80回選手権大会。横浜―明徳義塾。松坂大輔(現西武)を擁する横浜が、8回から6点差を逆転してサヨナラ勝ちした。ガッツポーズの松坂。抱き合う部員。

その瞬間が、大矢野の1年、川崎恵理佳(15)が甲子園を目指す原点となった。

高校合格後の今年の春休み。グラウンドに足を運んだ。自分より20センチも背が高い部員が投げるボールは速かった。だが、ためらわなかった。

「野球部に入りたいです」



熊本商の片岡安祐美(16)は、2002年9月の試合で猛打賞の活躍をした。

米国フロリダ州での、女子硬式野球世界選手権の対米国戦のときのことだ。「練習の成果だ」と思い、自分を受け入れてくれた熊本商部員に感謝した。

学校では現在、熊本大会を控え、練習が本格化。試合に出られない片岡は、グラウンドの隅でネットにボールを投げ込む日が多くなった。だが、「野球好き同士で頑張れるのが楽しい」。



県高野連の西浦慶二理事長(54)は、「男子の中でも通用するかもしれない」と片岡の実力を認める。だが、日本高野連の現在の規定では、試合の参加資格は男子だけ。そのような状況下、現在、2人の少女が県内の硬式野球部で練習に励む。



川崎は最近、守備や走塁練習に明け暮れる。辛(つら)いこともある。試合を控え、監督の高田尚(30)が男子部員にゼッケンを渡した時。

「これからももらえないんだろうな」。承知の上での入部だったが、やっぱりうらやましかった。

だが、めげない。ノックに入る代わりに素振りをし、約4キロを走る。時には、部長の中田澄男(53)が並走する。両手の先まで、マメができた。

「入ってよかよ」。先日、先輩に言われて初めて練習試合にベンチ入りした川崎。チームは10―5で勝利した。「部員の一員になった気がした」とほころんだ。

「公式戦でベンチ入りさせたい」と中田は思うようになった。近々、県高野連にかけあうつもりだ。



7月8日開幕する第85回全国高校野球選手権記念熊本大会を前に、それぞれの立場から野球への熱い思いを探った。(敬称略)


管理人:片岡安祐美さんに関する続報「いつか同じ舞台に/日本代表の女子部員/熊本商 2003/08/03」はこちら。


初のベンチ入りに「どきどきした」。川崎(左)の高い声が響いた=大矢野町中の大矢野総合スポーツ公園で
写真は http://www2.asahi.com/koshien2003/special/iOSK200306280013.html


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朝日
2002/07/07
朝刊 34
No .N143a020707m34
佐賀県
高校3年生

17
唐津南高校・内村亜紀子
シリーズ・特集;
見出し:
女子選手最後の夏/佐賀唐津南の内村さん/野球が好き。始球式で1球でも。
メモ :
2002年7月6日の第84回全国高校野球選手権佐賀大会の開会式で、県内ただ一人の女子選手、唐津南3年の内村亜紀子さん(17)が始球式のマウンドに登った。

日本高野連の規定で、女子選手の公式戦出場は認められていない。
県高野連に送った「1球でも思い切り投げたい」との手紙にかけた願いが実現した。

小学校5年で地元・佐賀県呼子町の少年野球チームに入った。中学も野球部に所属し、公式戦にも出場した。

高校では、公式戦に出るのは難しいとわかっていたが、手を豆だらけにしての素振りや、バーベル挙げなど男子と一緒にきつい練習に耐えた。
昨年の大会は記録員としてベンチ入りし、開会式の入場行進ではプラカードを掲げてチームを先導した。
大会後、新チームになってからは練習試合で何度か、内野手として先発出場。短く握ったバットで安打も放った。
「守備はいいものを持っている」と江藤秀夫部長は話す。

2002年6月上旬、佐賀県高野連に手紙を送った。「せめて始球式に登板したい」。
日頃の努力を知っていた高野連は、その希望を受け入れた。

大会が終われば、ほかの3年生と一緒に野球部から離れる。
「つらいこともあったけれど、野球が好きだから続けてこられた。締めくくりは直球勝負で行きます」

この日、「高校に入って初めて」という背番号5をつけ、様々な思い出が詰まった白球を、捕手のミットめがけて投げ込んだ。少し低めにいった。


管理人: 昨年の内村さんの記事はこちら
 いかにも高野連は柔軟に見えますが、本質的な頭との硬さと体質の古さを失っていないということを忘れないでおきましょう。


始球式で力強い投球フォームを見せる唐津南の内村亜紀子さん=佐賀県久保田町のみどりの森県営球場で
写真はasahi.com/sports/update/0706/014.html

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朝日
2002/07/04
No .N143a020704xxx
千葉県
高校3年生

17
伊勢田清香・流通経大柏高校
シリーズ・特集;高校野球02’夏 高校野球連載 あの日の夏これから夏 2
見出し:
女子選手 最後の舞台で活躍
メモ :
「キーン」

快音を残して打球は右中間へ。打者は一塁をまわり二塁ベースに滑り込む。タッチ、「アウト!」。苦笑いをしてベンチに戻る流通経大柏3年の伊勢田清香選手(17)に、応援席から大きな拍手が送られた。

2002年6月23日、埼玉県川口市で行われた市立川口高校との練習試合は、伊勢田選手にとって3年間で最後の舞台となった。そこで高校初安打を記録した。最終回にはサヨナラ安打を放ち、1―0で勝った。3打数3安打1打点の活躍だった。

植村宣監督は「あきらめなければ、いいことが待っているんですね」とうれしそうだった。

県高野連に所属する硬式野球部では、女子選手は1995年秋、船橋二和高校に誕生した。私が県千葉を卒業して半年後だ。野球部時代には「女子が野球をやる」なんて考えもしなかった。伊勢田選手は現在、県内でただ1人の女子部員だ。

6月中旬の雨の日、流通経大柏の室内練習場。私は選手と一緒に汗を流していた。腕立て伏せ、腹筋、モモあげ、肩車でのスクワット……。とてもついていけない。

いつの間にか雨は上がり、屋外での走り込み。インターバル走の途中で力が尽きた。あごが上がり、肩で息をする私を、チームメートが冷やかした。「明日動けなくなりますよ」

その横で伊勢田選手は、平然とメニューをこなしていた。「頑張ろう、頑張ろう」「ナイスプレー」。声を出して、雰囲気を盛り上げることも忘れない。

打撃練習では重さ1`のバットを振り、守っては二塁手として軽快なフィールディングを見せる。守備範囲ぎりぎりの打球に頭から飛びつく。グラブに入った球を一塁に鋭く送る。

日本高校野球連盟の規定で、女子選手は公式戦に出場できない。それでも伊勢田選手は3年間野球を続けてきた。「高校生の間に、規定が変わって公式戦に出られるようになるかもしれない」と思っていた。

植村監督は、県高野連評議員会で「伊勢田選手を始球式で登板させて欲しい」と要望した。

2001年の兵庫大会の球場ごとの始球式には、3年生の女子野球部員が登板した。2002年の佐賀大会でも開幕試合の始球式で、3年生の女子部員が投げる。同大会では2001年から、女子部員のユニホーム姿での開会式参加が認められている。

千葉大会では結局、始球式での登板は認められなかった。だが、伊勢田選手は「気持ちが切れることはない」と言う。この夏が終わるまで野球を続ける。開会式では、スタンドからチームメートの行進を見守る。

卒業後は四年制大学に進み、スポーツアナウンサーを目指すつもりだ。

「今度は私が、高校野球の素晴らしさを伝えたいから」



女子と野球

プロ野球協約は1991年、「医学上、男子でないもの」という不適格選手の項目を削除。1995年には東京六大学野球で初の女子選手が誕生した。

県高野連に所属する硬式野球部の女子選手は、これまでに7、8人。

甲子園とは別に、全国高校女子硬式野球連盟が主催する全国大会が、春と夏に開かれている。全国から女子硬式野球部などが参加、1998年夏には習志野が優勝した。今夏の大会は東京で8月24日から、千葉商など16校が参加して開かれる。


構えに入る伊勢田清香選手。この打席で初安打が生まれた=埼玉県川口市立川口高で
http://mytown.asahi.com/chiba/news01.asp?c=12&kiji=6

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琉球新報 2002/06/24
No .N143r020624xxx
沖縄県
高校3年生


田島綾乃
シリーズ・特集;
見出し:
女子部員の田島さん(首里高)が始球式 高校野球沖縄大会
メモ :
第84回全国高校野球沖縄大会第2日の2002年6月23日、北谷公園野球場での首里―宜野座の試合前に首里高校野球部の女子部員、田島綾乃さん(3年)が始球式を行った。

田島さんは1年から野球部に在籍。日本高野連の規定で試合に出場はできないが、男子部員と同じ練習をこなしてきた。県高野連が県で初めての女子部員の頑張りをたたえて式を提案した。

背番号「4」のユニホーム姿でマウンドに立ち、堂々とした投球で直球を投げると、スタンドから大歓声が巻き起こった。田島さんは「大舞台での1球に、3年間の思いのすべてを込めることができた」と喜びをかみしめていた。



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朝日
2001/07/16
朝刊 30
No .N143a010716m30
兵庫県
高校3年

17
有馬高校/桜山結希
シリーズ・特集;
見出し:
この1球  私の3年間  女子部員始球式/兵庫大会
メモ :
全国高校野球選手権兵庫大会第3日の2001年7月15日、有馬高校3年の野球部員の桜山結希さんが始球式で投げた。日本高野連の規定で女子部員は公式戦に出場できないが、県高野連が桜山さんの努力を認め「ひのき舞台」を設けた。

2000年秋からは左翼手として練習試合に出るまでになった桜山さんはこの日、公式戦用のユニホーム姿でマウンドに立った。大きく振りかぶって投げたボールは真っ直ぐに捕手のミットへ。

桜山さん
「3年間の全てを1球に込めました」

桜山さんは高校卒業後、進学してトレーナーを目指す。
「やっぱり野球から離れることはできませんね」


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朝日
2001/07/07
朝刊 14
No .N143a010707e14
佐賀県
高校2年
16
唐津南高校/内村亜紀子
シリーズ・特集;
見出し:
ユニホーム姿で女子部員も行進/高校野球佐賀大会
メモ :
県内初でただ一人の女子選手、唐津南2年の内村亜紀子さんが、全国高校野球選手権佐賀大会の開会式で2001年7月7日、プラカードを持ってチームを先導した。

日本高校野球連盟の規定では女子の公式戦出場は認められていない。今回は、内村さんのチームメートらが「一緒に練習で汗を流して来た仲間。せめて入場行進だけでも」と井脇涼久監督に提案。県高野連に確認すると「記録員として登録すれば大丈夫」との見解で入場行進の参加が実現した。

県高野連によるとユニホーム姿の女子選手が行進するのは初めて。日本高野連には記録はないが、全国的にも極めてまれな例と見られる。

内村さんは小学校5年生で少年野球クラブに入った。唐津南では内野手。最近の練習試合では2安打を放って活躍したという。

内村さん
「試合に出られないのは残念ですが、仲間達とともに開会式に参加でき、うれしいです」


管理人:一年後の記事はこちらへ


開会式を終え、ホッとした表情の内村亜紀子さん
写真 asahi.com/koshien2001/tokusyu/070701.html


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読売
2001/07/03
朝刊 32 No .N143y010703m32
高知県



中村高校
シリーズ・特集; 夏の高校野球  新世紀の一歩  1
見出し:
公式戦出場なぜダメ?/女子部員  中村(高知)/夢実現へ高野連に要望
メモ :
「明徳義塾を倒して甲子園に行きたい」。1977年の選抜甲子園で準優勝した中村高校に2000年、一人の女子部員が夢を抱いて入部した。女子部員は男子と同じ環境で中学二年から野球を始めポジションは左翼手。長打力こそないが、50m走や遠投で男子部員と遜色はない。練習試合で適時打を放ったり、糖類を決めたりするなど活躍、すっかりチームに溶け込んだ。

しかし、日本高野連の規定では、公式試合の登録は男子に限られ、女子部員の出場は練習試合に限られている。学校側は、「教育的な配慮を」と高知県教育委員会に相談し、2001年5月大崎博澄教育長が高野連に出場を認めてもらう要望書を提出した。

女子部員の問題は過去にも取り沙汰されたことがあり、高野連の見解は一貫して認められなかった。女子部員の夢がすぐに実現するのは難しいが、女子の野球参加をめぐって問題提起になったのは確かだ。

田名部和裕高野連事務局長
「中学と比べて男女の運動能力差が大きく危険を伴うため、安全性が懸念される。さらに優れた女子生徒だけが選ばれ、不平等な部活動にもつながりかねない」

吉良浩永監督は
「安全面は監督の責任。監督が『できる』と判断しているのに」

大崎博澄教育長
「生徒の思いをかなえるため、改めて要望の仕方を考える」


日本の女子野球の歴史

日本の女子野球の歴史は大正時代の1917年に愛媛・今治高等女学校で野球部が創設されたのが最初とされる。その後、女子野球連盟の発足、消滅とたどり、ここ数年、再び女子の野球熱が高まり出した。

1996年には中体連が野球で男女の垣根をなくし、2001年は東京の六大学の明治大学-東京大学戦で、女子投手が先発対決した。

その一方で、バレーボールやバスケットボールなど他の球技の様に男女別にする考えもあり、1998年に全国高校女子公式野球連盟が発足。ただ、現在女子野球部は全国の高校に5校しかなく、運営面などの課題も残されている。

  管理人:全日本女子公式野球チームサイト紹介はこちらから


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京都
2000/07/05
朝刊 21 No .N143k000705m21
京都市
高校生

16
安薫理
シリーズ・特集;球児の周りで  2000年高校野球
見出し:
女子部員/受け皿考える時期に
メモ :
京都韓国学園高の硬式野球部で、男子と一緒に二年生の安薫理さん(16)が白球を追う。「練習が終わり、やり遂げたと感じたときがうれしい。ちょっとでも成長できたら」と、はつらつとしている。

2000年一月末に入部した。「しんどそうやけど、(男子が)頑張っているのを見てやりたい、と思った」と野球を始めたきっかけを話す。ノックを受け、フリー打撃もこなす。「女やからって言われるのはいや。負けているみたいで」と、強い意志を持つ。

日本高野連は、選手権大会などの参加資格規定に「その学校に在籍する男子生徒」と定め。軟式も含め女子の大会参加を認めていない。同連盟の田名部和裕事務長は「中学生の後半から男女に体力差がつく。安全確保されていない状況で責任を持てない」と女子の活動を厳しく問う。

だが中学校では1996年、日本中学校体育連盟が軟式野球の大会に女子の参加を事実上認めた。男女平等の観点に立ち、同連盟が大会参加資格にあった「男子生徒で」という文字を削除したからだ。

京都市下京区の中学校で三年間軟式野球を続けた、上林美紗さん(18)と結香さん(18)の双子の姉妹は、小学校2年から野球を始めた。しかし、市内の高校に通う今は、野球に関わっていない。結花さんは「女子だけの部活があったら続けていたかも」と振り返る。

大学レベルでは、女子だけの軟式大会が盛んに行われ、公式の東京六大学リーグには女子選手が登録している。同リーグ事務局は「体力差は確かにある。でも、危険なのは男女一緒。後は本人の努力次第でしょう」と見守っている。

任意団体の全国高校女子硬式野球連盟が1997年夏から女子の全国大会を開いている。今春から兵庫県市島町で選抜大会もはじめ、第一回大会には隣接する福知山市の福知山女子高校からソフトボール部が出場し、準優勝した。

しかし、女子だけの野球部は全国に5校しかなく、ソフトボール部が参加するなど開催には苦心している。

同連盟の四津浩平事務局長(59)「女子に続けてもらいたい、という思いだけですが、一校で9人を集めることは難しく、お金もかかる」と胸の内を明かす。

今後、女子の競技人口が増えたとき、受け皿をどうするのか。考える時期にきている。


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大学野球


朝日
2004/04/27
No .N143a040428xxx
愛知県/名古屋市



中京女子大学/日本女子野球協会
シリーズ・特集; http://www.asahi.com/edu/nyushi/TKY200404270328.html
見出し:
大学初の女子硬式野球部、中京女子大に創設へ
メモ :
女子レスリングで世界のトップ選手を数多く輩出している中京女子大学(本部・名古屋市東区)が2004年4月27日、来年度に女子硬式野球部の創設をめざしていることを明らかにした。女子の硬式野球チーム設立は、大学では全国初。谷岡郁子学長は「女子レスリングで培ったノウハウで、女子が野球でも活躍できる環境をつくりたい」と語った。

来年度、学校法人が創立100周年を迎えるのを機に、「大学全体で楽しめるスポーツ」をつくろうと、硬式野球部の設立を決めた。軟式野球部やソフトボール部からも要望が強かったという。

計画では、今秋にも監督やコーチを公募して部員らの投票で選出する。チーム名は、谷岡学長の発案で「中女PUFFS(パフス)」。実力がつけば、地元の愛知大学野球リーグへの参加も計画しているという。

同大が現在、県内に練習用の球場を探したり、ユニホームの作成をデザイナーに依頼したりして準備を進めている。

NPO法人の日本女子野球協会(富山県魚津市)によると、高校では女子の硬式野球部は全国に五つある。大学野球でも最近、硬式でプレーする女子選手が話題になっているが、大学として女子の硬式野球部をつくっている例はないという。


管理人:日本女子野球協会さんのサイト紹介はこちら


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朝日
2001/04/10
夕刊 5 No .N143a010410e5
東京
大学3年

20
東京大学・竹本恵
シリーズ・特集;
見出し:
女性左腕  神宮マウンドへ/東京六大学春季リーグに選手登録/東大3年・竹本恵(20)/下手投げ直球は100キロ/オープン戦では白星も/「初」は米国女性
メモ :
東大3年の竹本恵投手(新潟高校出身)が76年の歴史がある東京六大学野球リーグ戦に日本人投手として初めて出場しそうだ。

オープン戦で好投し、2001年4月14日に始まる春季リーグに選手登録された。肩への負担を減らすために、今季から下手投げに転校したサウスポーは、ずっと目標だった神宮のリーフ戦マウンドで真っ向勝負を挑む。リーグ戦が終わる頃には、女性が男性を押さえるのは普通のことになっているかもしれない。

東大の三角裕監督「話題だけじゃない、貴重な戦力」


大学野球の女子選手

東京六大学リーグ初の女性選手は明大OBらが勧誘して来日した米国出身の、ジョディ・ハーラーだ。1995年9月19日の東大2回戦に先発し、2回2死まで無得点に押さえた。

竹本に継ぐ3番手の女性選手は、鹿児島・神村学園出身で明大2年の右腕、小林千紘。昨秋、試合に出場しない学生コーチとしてベンチ入りしたが登板はまだない。

東京六大学以外では、宮崎県大学リーグの村上美和子(宮崎公立大)が1995年から2年間で7試合に出場したほか、1996年秋に愛知大学野球4部の森島亜矢子(愛知淑徳大)が、1997年春には近畿学生野球2部の中居久利子(奈良教育大)が出場した記録がある。


管理人:
小林さんや竹本さんの活躍を追ったルポルタージュ「東京六大学野球女子投手誕生物語  ふたりの勇気」の図書紹介はこちらから。

竹本さんのその後に関する記事紹介「142a030118m15完投します世界一週 東大元投手竹本恵さん 「中途半端じゃだめ」単車で米ーアフリカ―欧州2〜3年かけ」はこちらから。


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