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記事紹介の留意事項 |
2007年
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京都 |
2007/07/28 |
刊 | 面 | No .N143k070728xxx |
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京都市/左京区 |
京都府立大 |
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シリーズ・特集;http://www.kyoto-np.co.jp/article.php?mid=P2007072800104&genre=G1&area=K10 | ||||||||||
見出し: 女性リーダーが孤軍奮闘 京都府立大応援団、チアも精鋭1人 |
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メモ : 京都府立大(京都市左京区)の応援団の団長に昨年秋から女性の福島智子さん(文学部3年)が就任し、奮闘している。全国的に大学の応援団は団員不足が続いており、府立大も応援を率いるリーダー部が福島さん、チアリーダー部が日野怜さん(文学部3年)だけだが、「1人1人が大きな声を出して頑張りたい」と話している。 府立大応援団は、昨年度に男性の団長が卒業、吹奏楽部に2人が入部し、4人体制で春の滋賀県立大との対抗戦など運動部の応援を行っている。リーダーが福島さんだけで旗や太鼓もないが、4人で声をあわせてエールを送るなど「にぎやかにやっています」と福島さん。日野さんも「みんなで動きをそろえることができないのはさみしいけれど、1つ1つの動きをきっちりとやりたい」と、きびきびとしたダンスを披露している。 「応援団は人のために全力を出すことができる唯一の場所。やりがいがある」と福島さん。8月下旬の全京都大学野球トーナメント大会、秋の大阪府立大、兵庫県立大との対抗戦に向け、練習を重ねている。 女性リーダーの応援団長は全国でも少ないが、「体力、精神力をつけて頑張りたい。応援団の魅力を伝えて、一緒に応援する仲間を増やしたい」と話している。 |
朝日 |
2003/01/23 |
朝刊 | 25面 | No .N143a030123m25 |
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日本陸連 |
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シリーズ・特集; | ||||||||||
見出し: セクハラ 課題多いスポーツ界/日本陸連「ガイドライン」発表から4ヶ月 |
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メモ : 日本陸上競技連盟(河野洋平会長)が、セクシュアル・ハラスメント(性的嫌がらせ、以下セクハラ)防止に向けた「りん井に関するガイドライン」を発表してから4ヶ月がたった。競技団体では初の試みとして注目されたが、相談窓口はほとんど利用されておらず、ガイドラインの内容にも「不十分」との指摘が出ている。日本のスポーツ界を取り巻く特殊な風土もからみ、今後への課題は少なくない。 (杉山佳子) ■ 名指導者の相次ぐ逮捕 日本陸連が動いたきっかけは、名高い指導者たちによる深刻な「事件」が続いたことだった。 2000年2月秋田県内の高校の陸上部監督(47)が女子部員を練習と偽って誘い出し、宿泊施設に連れ込んで無理やりキスなどをしたとして、強制わいせつ容疑で逮捕された。2001年10月には大分県内の高校の陸上部監督(62)が、合宿先で女子部員と散歩中に相手の手をつかみ下腹部を触らせるなどしたとして強制わいせつの容疑で逮捕、起訴された。 どちらも全国高校駅伝などに出場している名門陸上部の監督。現在も裁判が続く大分の監督は、日本陸連が優れた指導者に贈る賞の受賞暦もあっただけに、関係者に与えた衝撃は大きかった。 日本陸連は2002年1月に「倫理に関する検討部会」を設置して防止策を話し合い、9月には「倫理に関するガイドライン」をまとめ、発表した。 A4の紙で計3枚。冒頭に、セクハラとは「役員・指導者及び競技者などによる相手を不快にさせる性的な言動」と定義が示され、それをなくすための心構えとして「お互いの人格を尊重しあうこと」「性的言動、表現に対して男性と女性では受けとめ方に違いがある事を念頭に置く」「競技者は刺激的ユニホームの着用に配慮する」などを挙げている。3枚目には「セクハラの具体例(配慮すべきこと)が並んでいる。 ■ 選手との距離感 困惑も ガイドラインを歓迎知る関係者は多い。高校駅伝の強豪校を率いる監督の一人は、「同じ陸上界の指導者が相次いで事件を起こしているのはとても遺憾。事件をj増やさないためにも周知徹底させて欲しい」と期待する。 複数の大学の指導者からは「大学が一般教員・学生向けのガイドラインを出し、以来何かにつけてセクハラと疑われるようになった。スポーツ指導の現状に即したものができたのはありがたい」との声が聞かれた。文部科学省(当時文部省)が1999年3月に「防止規定」を定めていこう、ほとんどの大学は独自のセクハラ対策に取り組むようになった。 が、選手とのスキンシップを厳しく制限した内容に戸惑う指導者たちもいる。ある高校のベテラン監督は「女子は男子以上に指導者の情熱を敏感に感じ取る。スキンシップが制限されることで心の距離が生まれるのが心配」と話す。「選手と過ごす時間は家族と過ごす時間より長い。角の規制は指導者たちのやる気をそぐことにつながる」と話す実業団の監督も。 困惑の背景には日本のスポーツ界独特の風土が横たわっているようだ。指導者と選手が密着していたほうが指導の実があがりやすい。そんな考え方が受け入れられてきた。 では「情熱ある指導」と「セクハラ」の境界線をどこに引き、それをどう見極めるのか。 文部科学省に報告される事件には「部活動の指導者が、マッサージと偽って生徒にわいせつ行為をする」といった明白なセクハラが多い。一方で、実績ある指導者が選手の体をじかに触って状態を確かめ、選手も笑顔で応じる――そんな有力選手の合宿風景がテレビ番組などで映し出されているのもまた事実だ。 ただ仮に強い信頼関係に裏打ちされたスキンシップであったとしても、そこには実は問題が潜むと指摘する声がある。 2002年6月に発足した「日本スポーツとジェンダー研究会」事務局の熊安貴美江・大阪女子大助教授は「本来はセクハラに当たる行為でも、時間をかけて手なずけていくことで、不快と思わない状況を作りやすい。選手に対して強い権力を持つうえ、『触る』行為が日常的に許されているスポーツ指導の世界には、セクハラを容認しやすい体質がある」とみる。 熊安助教授は2002年秋、他の5人の研究者と海外のセクハラの現状や研究事例をまとめた。英国では「不快と感じないまでに手なずけたり、強制することで、性的交渉の同意を引き出す」ことを「性的虐待」と位置づけ、分析が進められている。 スポーツと性の問題は多様で深く、オーストラリアでは競技者、コーチ、組織、管理責任者のそれぞれに対して数十ページずつのガイドラインが存在する。「欧米諸国のガイドラインは、セクハラが生じる文化的背景や問題解決への道筋が詳しく示されえいる」(熊安助教授)という。 日本の選手経験者たちにも意識の変化が見える。日本陸連理事で元マラソン五輪代表の増田明美さんは「個人的な意見」と前置きしながら、「触れなくなっては選手との距離ができて指導に響くというのは指導者の甘えだと思う」と言い切る。ジャーナリストとして様々な指導者や選手と接してきた経験も踏まえ、「日本の指導者は選手を子ども扱いして、胸がどうとか平気で言い過ぎる。もっと紳士であって欲しい」とも注文する。 ■ 相談窓口の充実不可欠 ガイドラインの発表と同時に陸連は電話やEメールによる相談の受付もPRした。しかし、これまでに寄せられたのは1件だけ。相談を受けた日本陸連の田中淳浩・広報委員長は「セクハラを受けた選手本人ではなく、関係者からの電話だった」。 「相談窓口」となるのは他の業務にも忙しい同委員長1人。専門の相談員はいない。窓口の連絡先は陸連の代表番号と同じ。選手が包み隠さず話せそうな環境ではない。 セクハラ対策で最も重要なのが、この「窓口」の対応だ。大学でのセクハラ防止に取り組む「キャンパス・セクシュアル・ハラスメント全国ネットワーク」事務局代表の戒能民江・お茶の水女子大教授は、「相談窓口を持つ大学は全国に増えたが、相談員が心ない言葉を使ったり、守秘義務を守らないなどで二次被害が出ているケースがたくさんある」と明かす。 「相談員が陸連役員というのは問題外だが、外部から招けばOKという話でもない。性暴力を受けた被害者について理解し、的確に対応できるような人を探さなくては、心身に傷を負う選手はむしろ増える心配すらある」と指摘する。 陸連にならってガイドラインを作る競技団体はまだない。「相談窓口を整えられないのでは作っても意味がない」と話す競技団体幹部もいる。教職員や父母で作る「スクール・セクシュアル・ハラスメント防止全国ネットワーク」が2003年1月18日に大阪市内で開いた会合でも、参加者から「陸連の姿勢を見宇土、事件が起きてしまって『免罪符』のためにとりあえず作った感が強く、期待できない」との声が出た。 陸連は各都道府県協会を通じてガイドラインの周知をはかったが、年が明けても存在自体を「知らない」と話す指導者もいた。初の試みが、十分に機能し評価されるまでに、越えるべきハードルは多そうだ。 ■ 日本陸連のガイドラインが定める「配慮すべきこと」(17項目から抜粋)
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京都 |
2002/09/04 |
刊 | 面 | No .N143k020904xxx |
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日本陸連 |
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シリーズ・特集;http://www.kyoto-np.co.jp/kp/topics/2002sep/04/K20020904MKF1Z100000043.html | ||||||||||
見出し: 「マッサージは着衣の上から」/陸連がセクハラ防止規定 |
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メモ : 日本陸連は三日、セクシュアルハラスメント(性的嫌がらせ)や暴力行為防止のための「倫理に関するガイドライン」を発表した。競技団体が”セクハラ防止規定”を設けるのは異例。陸連では「企業などでは当然のもの。具体例を示してガイドラインを定めたのはスポーツ界では初めてと思う」(田中淳浩広報委員長)としている。 ガイドラインは、マッサージなどで「相手に触れるときには、直接肌に触れることは避けて着衣の上から」「競技者に触れるときには、本人の了解のもと第三者に同席を求める」などの具体例も示した。 またセクハラや暴力行為防止のため(1)互いの人格を尊重(2)セクハラなどで不快に感じたら意思表示する(3)選手は刺激的なユニホーム着用に配慮する−などを求めている。 陸上界では高校の指導者らによるセクハラ、暴力事件が相次いだため、日本陸連は「倫理に関する検討部会」を一月に設置して防止策を検討してきた 陸連では各都道府県陸協や関係団体にガイドラインを送付し、周知徹底を呼び掛ける。現時点では罰則規定はないが、調査次第で処分も行うという。セクハラ、暴力行為に関する相談、苦情を受ける担当者も置き、再発防止態勢を強化する。 管理人:日本陸連のサイト紹介はこちらから 日本陸上競技連盟 倫理に関するガイドラインはこちらから |
朝日 |
2001/06/23 |
朝刊 | 27面 | No .N143a010623m27 | ||||||
スポーツライター |
女 |
山田ゆかり/Sports Network Japan |
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シリーズ・特集; | ||||||||||
見出し: スポーツ界 はびこるセクハラを絶て |
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メモ : 長野五輪のちょうど一年前のことだった。代表内定選手や候補選手に話を聞きにいった折、ある男子選手に耳打ちされた。 「ある女子選手が困ってるんですけど、男の僕じゃどうしようもない。いろいろ求められて・・・・・・」 話はあいまいないい方で始まった。要は指導者から性的関係を求められ、それを拒否すると選手選考に響くということだった。 別の機会に元オリンピック女子選手に会った。セクハラについて聞くと、「確かにあります」という。 しかも「そういうことは当たり前」で、目くじらを立てる方がおかしい。下手に反論したり反抗したりしたら、冷たくされる。だから「身を犠牲にしても試合に出たい人が出てくる。私はそういうのを拒否したから嫌われた」と、彼女はいった。 スポーツ指導者と選手の人間関係は濃密だ。セクハラが微妙な問題をはらむのは、そこに個人的感情がからむときだ。 かつて、ある個人競技の男性指導者が「女子選手は恋愛感情がないと強くできない」と豪語するのを聞いた。実際、彼は妻と別居し選手と同せいしながら競技の指導をしていた。 別の指導者は「難しいよね、どこまでがセクハラかどうか。お互い信頼関係があれば大したことじゃなくても、選手に嫌われたら、ちょっと触れただけでもセクハラなんだから」と語った。 手をつけた選手からの意趣返しを恐れているようだった。複雑な人間関係の中で指導者側の「冤罪」もあり得る。 どれもこれも、私が聞いた現場の声だ。ファンを含むスポーツに携わる人、支える人すべてに耳を傾けてほしい。トップレベルしかり、中学、高校、大学の運動部でもセクハラ、性犯罪は枚挙にいとまがない。表ざたにはなりにくいが、根が深いと見る。 まずいのはスポーツ界の体質だ。セクハラや選手が加害者の性犯罪さえ起きるが、当事者も被害者もその責任をうやむやにし、競技団体や学校当局など関係する組織は事実を明らかにするどころか、もみ消し工作に奔走する。 選手、指導者をはじめスポーツ界にかかわる人々の甘え、了見の狭さが浮き彫りにされる。 その原因の一端は、スポーツ界が男性社会ということもあるだろう。女性は飾り物であり、愛がん物という意識がどこかにないとはいえまい。男性指導者と女性選手に主従関係があり、性的関係を強制してもいいんだ、という勘違いがないわけではない。 表向きはカリスマ指導者であれ、内実は男の性がうごめく。競技一筋で世間知らずの選手たちは、セクハラ、性犯罪のえじきになりやすい。 セクハラ、性犯罪は、スポーツ界が抱える問題の氷山の一角にすぎないにしろ、臭いものにはふた、はもうやめようではないか。被害者がはっきり「ノー」といえるような、必要なら法廷で戦えるようなスポーツ界であるべきだ。関係者の自覚と反省、意識改革を促したい。さらにこの手の問題を報じるメディアの在り方をも考えたい。 具体的には、被害者、加害者、冤罪を被った人たちの声をスポーツ情報会社 Sports Network Japanのホームページ(http://www.sportsnetwork.co.jp/)に集めながら現状を世に訴え、解決の糸口を探りたい。これにはセクハラ問題に取り組む弁護士やジャーナリスト、研究者らの協力を得ている。当事者をはじめ、思い当たる方々の勇気ある協力を求めたい。 管理人:朝日新聞の記事と同文のSNJ スポーツジャーナリズムより転載しました。 |
読売 |
2000/10/15 |
朝刊 | 17面 | No .N143y001015m17 | ||||||
博報堂生活総合研究所長 |
男 |
関沢英彦 |
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シリーズ・特集; メディア時評 | ||||||||||
見出し: 古い女性観取り払い 選手自身の力伝えて |
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メモ : 20世紀最後のオリンピック。シドニーからの報道は、今世紀における女性の変化を改めて教えてくれた。それは開会式から始まった。スタジアム内で聖火を継いだのは元五輪選手の女性たち。以後、女性の活躍を報じる記事が多かった。「パリ五輪のテニスに12人の女性が参加してから100年。今大会は参加選手の約38%(約4300人)を女性が占める」。まさに「女の五輪」だ。 女子選手の年齢もあがった。例えば、水泳選手。「以前は、年齢を重ねることは不利と考えていたけど、練習への集中度、経験など、むしろ利点が多い。30歳が女子スプリント選手のピーク」と女子100m自由形3位のダラ・トーレス選手(米国)は語った。彼女は33歳。 なぜ高年齢でも活躍できるのか。読者の疑問を記事は追いかけてくれる。まず経済的理由。「プロ化の波でスポンサーのついた選手は水泳で生活が成り立つようになった。特に米国でhが、年齢の比較的高い女性が活躍することが、同じ年代以上の消費者の共感を呼ぶため、スポンサーがつきやすい」。 そして、栄養の補助。「トーレス選手は、疲労回復に高価のあるクレアチン、各種ビタミン剤を1日に2ダース以上摂っている」という。 (中略) こうした女子選手のパワーを伝える記事は、こちらまで元気が出てくるものだった。 しかし、記者達が無意識に抱く「古くさい女性観」が顔を表すことにがっかりしたこともあった。 例えばトライアスロンの平尾明子選手についての記事。見出しは「二人三脚で絶えた日々 きょう妻に戻る日」である。「二人の戦いは始まった。生活の主人公は妻。夫は仕事を辞めた」。夫が平尾選手のトレーナーなのだ。「買い物も食事を作るのも夫。『日陰の存在』に耐え切れなくなることがある」。平尾選手の夫が、仕事を辞めたことも、家事が大変だったことも事実であろう。しかし、そうした彼の動静を伝える文面として、これは十分に中立的だろうか。旧来の男女の役割像にとらわれ過ぎていないだろうか。 女子柔道52s級の楢崎教子選手の記事もそうだ。彼女は一本を取られて金メダルは逸した。「会場を後にするときはややうなだれ、寂しそうだったが、足取りはしっかりとしていた。主婦として、競技者として、頑張って来た自負があった」という言葉は必要あるのだろうか。 「日本柔道初のミセス代表≠ニして」と、文頭で紹介したことを受けているのだろうが、、もし選手が男性だったら、「夫として、競技者として」とわざわざ特記しないはずだ。「ミセス好調 夫が支え」という見出しもあった。「ミスター好調 妻が支え」という記事は見当たらない。 もちろん、今まで少なかった「ミセス」が増えたからこそ、この記事は成立した。だが、「30代ですら、4年に一度の大舞台でも最高の力を発揮できるのは、結婚しているからこそ得られる『もう一つの力』のお陰のようだ」と結論づけるのは、30代の独身者に対し公平とはいえないだろう。 いま読者が読みたいのは、一人の競技者としての姿だ。性別、年齢、未婚・既婚ちょいった観点から説明するのではなく、その人の「個の力」を真正面から伝えてもらいたい。 (中略) 男だから、女だから、何歳だから……といった枠組みに取材対象を押し込めるな。シドニー五輪は、そんなことを教えてくれた。 |
京都 |
2000/09/19 |
夕刊 | 6面 | No .N143k000919e6 | ||||||
スポーツ栄養士 |
女 |
石川三知 |
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シリーズ・特集; 五輪 女・100年 | ||||||||||
見出し: 生理は「敵」じゃない/同行の栄養士目を光らす |
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メモ : 「生理の一日前がわたし、ホントに駄目なんですよ。勘が狂っちゃう。今回はシドニーに来る直前に終わってよかった」とあるバドミントン選手はクスっと笑った。大舞台にどうかぶつかってほしくない、というのは多くの女子選手の率直な気持ちだろう。 生理との付き合い方は競技によってさまざま。水の中で百分の一秒を争う競泳選手の場合は、それがタイムに影響する人が多く、一月前から薬を使って調整≠キることも珍しくない。 女子体操選手の多くは、幼いころから競技を始めて厳しい体重管理で体操向きの小柄な体を維持している間は、生理が始まらないのだという。 「わたしはずっとそうだった。引退したら、ちゃんと妊娠もしたけど」と言うのは、塚原直也選手(23)の母で、元五輪出場選手の塚原千恵子コーチ(53)だ。 女子競泳陣など、スポーツ選手の栄養管理のためにシドニー入りしている石川三知さん(35)は言う。 「調整が必要な選手がいるのも確か。でも男性のコーチに、生理が来ないことを好条件≠フように言われると、断固反対したくなる」 「選手である前に一人の女性として健康でなければ。その上で、その人の体で勝てるトレーニングを考えていけばいいのだから」 |
朝日 |
1999/12/02 |
朝刊 | 21面 | No .N143a991202m21 | ||||||
茨城県/水戸市 |
NPO法人理事 |
女 |
41 |
ジュースJWS/小笠原悦子 |
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シリーズ・特集; | ||||||||||
見出し: NPO法人「ジュース」/女性スポーツ ネットで支援/4ヵ国語で情報発信 |
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メモ : スポーツにかかわる女性を支援しようと13人で発足した「ジュース」がNPO法人となり9ヶ月余り。ホームページで情報発信し、会員は170人に増えた。2006年世界女性スポーツ会議の日本招致に向け、ネットワークを広げている。 小笠原悦子理事長は「親しまれながらもコーチや組織の女性リーダーが少ない。体や心成長を考えれば、女性指導者はもっと必要」と、自らの体験を重ねる。ソウル五輪などで競泳のスタッフをした後、渡米。オハイオ州立大の大学院でスポーツマネジメントを学びながら、女性のスポーツ参画を見た。 米国では25年前、女性スポーツ財団が発足。五輪選手やコーチを研修会などに派遣し、啓蒙活動を続けている。カナダ女性スポーツ振興協会も助成金を出すなど、いずれも種目を越えた協力体制を敷く。 イスラム圏の女性の国際競技会や、世界女性スポーツ会議の開催、国際オリンピック委員会は国内オリンピック委員会に対し、2000年12月末までに理事会などの議決機関に女性を10%以上起用するよう促している。 ホームページでは国内外の女性スポーツ組織の同校を、日、英、中、韓国語で掲載している。 管理人:ジュースのサイト紹介はこちらからどうぞ |
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朝日 |
2000/02/25 |
朝刊 | 25面 | No .N143a000225m25 | ||||||
日本サッカー協会 |
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シリーズ・特集; | ||||||||||
見出し: 少年大会参加女子もOKに/日本サッカー協会 |
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メモ : 女子サッカーの育成、強化を狙って門戸開放。日本サッカー協会は2000年2月24日、全日本少年大会など、小学生を対象にする大会に、女子の参加を認めることを決めた。 これまで、日本少年大会の参加資格には「男子選手のみ参加とする」という条項があったが、これを削除する。 日本協会の森健児専務理事 「女子の普及に向けて画期的な出来事だと思う。全日本大会をきっかけにこの動きが広まってほしい」 |
読売 |
1999/12/14 |
夕刊 | 3面 | No .N143y991214e3 | ||||||
アメリカ |
アメリカ女子サッカーチーム |
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シリーズ・特集; | ||||||||||
見出し: 今年のスポーツ最優秀選手/W杯サッカーアメリカ女子チーム |
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メモ : 米誌「スポーツイラストレイティッド」は1999年12月13日、今年のスポーツウーマン・オブ・ザ・イヤー(最優秀選手賞)に、女子サッカーのワールドカップで優勝したアメリカ女子チームを選んだ。 1954年から始まった同賞は、最もすばらしい活躍、スポーツマンシップを見せた選手、団体に贈られる。女性の受賞は1994年のボニー・ブレア(スピードスケート)以来、6度目。 チームの受賞は1980年のレイクプラシッド五輪金のアメリカアイスホッケーチーム以来2度目となる。 |
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読売 |
2001/07/19 |
朝刊 | 31面 | No .N143y010719m31 | ||||||
京都 |
高校3年 |
斉藤里香 |
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シリーズ・特集; | ||||||||||
見出し: 女子ジュニア世界ウェートリフティング/斉藤さん(加悦谷高3年)/メダル3個/トータル3位「アテネ五輪狙いたい」 |
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メモ : 京都府立加悦谷高校3年、斉藤里香さんが、2001年7月にギリシャで開かれた「第7回ジュニア世界ウェートリフティング選手権大会」で、、トータル3位に輝くなど3個のメダルを獲得した。大会は約50カ国の20歳以下の選手140人が7階級で競い、斉藤さんは69kg級に出場した。 69kg級には18人が出場し、ジャークは105kgを上げて2位。スナッチは82.5キログラムで3位。トータルでも銅メダルを獲得した。日本代表の中でメダル獲得は一人だけ。日本人選手がトータルで3位以内に入るのは2年ぶり3人目。高校生では始めての快挙となった。 斉藤さん 「メダル獲得という夢を果たせて満足。シニアの国際試合でも通用するようにパワーアップを図るのが次の目標」 |
京都 |
2001/06/13 |
朝刊 | 23面 | No .N143k010613m23 | ||||||
京都 |
女 |
26 |
カルーナ・ジョーンズ |
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シリーズ・特集; | ||||||||||
見出し: 京で鍛錬 中国で栄冠を/重量挙げ 豪の女性選手/京都協会初の受け入れ 基本重視し汗 |
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メモ : オーストラリアの女子重量挙げ48kg級選手のカルーナ・ジョーンズさんが、2001年4月から京都ウエイトリフティング協会の練習に参加している。 昨年までアクロバット体操選手だったが年齢的な限界を感じて引退。しかし、「スポーツは続けたい。小柄なので体重別の競技のほうがやりやすい」と、半年前に重量挙げに転身した。 自己記録はトータル120kg。国内大会で二位に入ったこともあるが、オーストラリア1位の選手とは12.5kgの差があるという。 生活に変化をつけたくて2001年4月に京都市内に移住。英会話学校の講師をしながら週3回、京都協会が京都市南区の日本電池体育館で行う練習に参加。 田邊知隆理事長は、「向こうはとにかくパワーでという指導だったよう。京都でのイメージトレーニングや基本練習が役立っている」と分析。 ジョーンズさん 「8月のオーストラリア選手権が今の目標。日本には二、3年いる予定で、世界大会やオリンピックも目指したい」 |
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朝日 |
2002/12/27 |
朝刊 | 15面 | No .N143a021227m15 |
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USA/ラスベガス |
ニューメキシコ大生 |
女 |
ケーティー・ハネイダ |
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シリーズ・特集; | ||||||||||||
見出し: 1部Aに女子出場/史上初 キッカーで/アメフット 米UCAA |
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メモ : 米大学アメリカンフットボールのラスベガスボウル、UCLA−ニューメキシコ大戦が2002年12月25日、各地で2試合を行い、ラスベガスでのラスベガスボウルはUCLAがニューメキシコ大に27-13で勝った。 この試合でニューメキシコ大の女子選手のケーティー・ハネイダキッカーとして出場、全米大学体協(NCAA)の最高峰、1部Aの試合に出場した初の女子選手となった。 ハネイダはTD後のトライ・フォア・ポイントの場面で登場したが、キックは相手にブロックされた。 ネバダ州ラスベガスであり、ニューメキシコ大のキッカー、ケーティー・ハネイダが、全米大学体協(NCAA)の最高峰、1部Aでは初の女子選手として出場した。 ポニーテール揺らして感激 最もレベルの高いNCAA1部で、女子選手が史上初めてプレーした。 ニューメキシコ大のキッカー、ケーティー・ハネイダ。金髪のポニーテールを揺らしてキックしたが、ボールは相手選手にブロックされてしまった。それでも「ここに来るまでは長い道のりだった」と、大試合に起用され感激の面持ちだった。 他大学を経て、今季からチームに加入。もちろん更衣室などは別だが、チームメートには溶け込んできたという。ニューメキシコ大のロング・コーチは「われわれにとって彼女は大切な選手だ」と褒めていた。(AP) 管理人:朝日新聞WEB NEWS http://www.asahi.com/sports/etc/KYD200212260001.htmlfでは次のように報じられました。
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朝日 |
2003/08/23 |
夕刊 | 2面 | No .N143a030823e2 |
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レーサー |
女 |
28 |
井原慶子 |
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シリーズ・特集; | ||||||||||
見出し: 元レースクイーン F1めざして疾走/アジアシリーズ連続入賞の井原/ピットで勉強、デビュー果たす |
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メモ : レースクイーンから転身した異色のレーサーが活躍中だ。マレーシアを中心にアジア7カ国・地域を転戦する「フォーミュラBMWアジアシリーズ」で、井原慶子(28)は今季、5戦連続で表彰台に上がった(2位2回、3位3回)。偏見や逆境に負けず、世界のサーキットで走り続け、日本を代表する女性ドライバーに成長した。(原島由美子) スキー、テニス、水泳でインストラクターの経験を持つ井原が、レースに目覚めたのは1996年。アルバイトでモデルをしていた法大在学中、フォーミュラ・ニッポン(FN)参戦チームのレースクイーンに選ばれたのがきっかけだった。 「振動や音の迫力、緊張感が今までやってきたスポーツと全然違った」 1999年、F1チーム・ベネトンのイメージガールに応募し、約5000倍の難関を突破して選ばれた。ピットでは技術者たちの仕事を観察。同年5月に入門レースでドライバーとしてデビューした。 モデル時代に数々の面接で培ったPR能力を生かし、自らスポンサーの獲得にも奔走。2000年に渡英し、現在はF1で活躍中のキミ・ライコネン(フィンランド)らと競った経験もある。 2001年にはフランスのF3へ進み、4度入賞した。そんな井原に対し「女性の立場を利用し資金を得ている」などと、やっかむ男性も少なくなかった。 2002年、出資者が撤退したため数千万円にも及ぶ必要資金のめどが立たずに帰国。新スポンサー探しでシーズン序盤を棒に振った。「そのおかげで、失礼だった男性の態度も変わってきた。『あいつ、意外と苦労しているんだ』と……」 本格的にレースを始めて5年目。肩や腕に筋肉がつき、5、6年前より体重が12キロ増えた。一方で体脂肪は20%から15〜13%へ。「友人からは『体がごつくなったね』と言われる。でもレースクイーン時代より、今の自分が好き」 究極の夢は、世界最高峰のF1で走ることだ。「『女性には無理』『その年齢では遅い』などと言われるけど、ここまでやって来たし、これからも目標に向かって走り続ける。来年はFNにも出たい」 |