最近は少年野球チームの中に女の子の姿を見かける事も珍しくなくなってきました。また、東京六大学でも2001年の春季リーグから東大や明大の女性投手が活躍し、スポーツ新聞の紙面を賑わせています。そして、知らない方も多いと思いますが、日本でも戦後まもなくのころには「女子プロ野球」もあったのです
2001年の夏の甲子園の県大会で、ユニホームを着た女子部員がマウンドに立ちました。ところが、それは始球式。未だに高野連は女子部員が公式戦に出場することを認めていないのです。その根拠は、次の挙げる日本高等学校野球連盟(高野連)の全国高等学校野球選手権大会参加規定です。
第4条 参加選手の資格は、以下の各項に適合するものとする。
(1)その学校に在学する男子生徒で、当該都道府県高等学校野球連盟に登録されている部員のうち、学校長が身体、学業及び人物について選手として適当と認めたもの。 |
こうした高野連の「規定」に対して疑問の声を上げた人々がいます。2001年2月21日付神戸新聞Web
Newsには次のような記事が掲載されています。
高校野球女子部員、公式戦出場目指し最後の春
県立有馬高校(三田市)の野球部で、一人の女子部員が公式戦出場を夢見て歯を食いしばっている。二年生の桜山結希さん(17)。れっきとした野球部員だが、ベンチに入ることはできない。日本高野連の規定で、出場は男子生徒に限られているからだ。間もなく三年生として最後のシーズンに臨む。「仲間と一緒にプレーしたい」の思いは募る。(川上 隆宏)
野球ファン一家に育った桜山さんは、高校入学と同時に野球部を希望。同校初の女子野球部員となった。県高野連は、県内各高校の女子部員の数を把握していないが「現在、活動を続けているのは、彼女だけではないか」(佐古田直実理事)という。
「すぐに辞めてしまうのでは」という木村和人監督(27)らの懸念をよそに、休日返上の猛練習を続けた。一年生の秋からは練習試合にベンチ入り。計十七試合で代打や守備固めとしてプレーした。
だが公式試合には出られない。入部の際、監督らに説明され、納得したはずだったが、チームに溶け込むにつれ寂しさが募る。「みんなと一緒に頑張るのが野球の面白さ。試合で自分の力を試したい」
桜山さんの頑張りに、木村監督らが動いた。昨年十二月、桜山さんがプレーした練習試合の相手十七校を対象にアンケートをとった。「女子部員がいることで不都合な点があった」とする回答はゼロ。県高野連に「特例として公式戦出場を認めてもらえないか」と訴えたが、「ルール」の壁は厚かった。
「やや小柄というだけで、男女の差を意識することはありません」と木村監督。「できないことが、少しずつできるようになっていくのが楽しい。これからも野球を続けたい」と桜山さん。リトルリーグから大学まで、女性に門戸を開いていないのは高校野球だけだ。
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また、2001年の5月高知県の大崎教育長が日本高野連に対して女子選手の出場を求める要望書を出しましたが、やはり高野連の壁は厚く、拒否されました。それを報じたスポーツニッポンのWEBサイト2001年6月7日付「スポニチアネックス」で紹介されていた記事を紹介します。
女子の高校野球出場「安全面に問題」
日本高校野球連盟は6日、大崎博澄高知県教育長から提出されていた女子部員の大会出場を求める要望書について、「体力面で男女一緒にプレーするのは危険で安全面に問題がある」との従来の姿勢を確認、同教育長に文書で回答した。
女子部員の参加を求める要望書への対応は、この日の定例常任理事会で議題となり、「文部科学省などのデータで高校生は男女の体力差が認められており、危険回避に責任が持てない」とのこれまで通りの見解を回答することにした。
日本高野連の田名部和裕事務局長は「野球が好きな女子がいるのはいいことだが、実現は難しい」と話した。 |
「安全面」を理由に持ち出しても、高校野球だけが女の子を締め出す説明にはなりません。土俵に女性を挙げない相撲協会と根っこは同じ。「男の世界」にこだわる「歪んだ精神主義」や、ダブルスタンダード(二重基準)を守ることで優位に立ちたい男の面子が本当の理由だと素直に認めた方が、ずっと分かりやすいのではないでしょうか。
それとも、下手に女の子を入れてしまうと、これまでのような「シゴキ」が出来にくくなったり、部内で暴力事件のみか、セクハラまでが起きかねないと心配しているんでしょうか?
伝統やルールは尊重すべきですが、それは本来、社会や文化を豊かにするために存在するはずのものです。もし「安全」を問題にするならば、相次ぐ部員同士や監督による暴力事件を当たり前とする体質をこそ問題にすべきでしょうね。
また、野球に限らず「相撲」「レスリング」「ボクシング」などの女子の活躍と、立ちふさがる壁についても合わせて考えて見たいものです。
ただ、女子の格闘技に対する男性ファン≠フ中には、「競技」と違うところに興味を持っている人達も多いようです。そうした眼≠ヘ、女子格闘技を盛り上げるかもしれませんが、決して闘う女性の力にはならないのではないでしょうか。
その上、もう一つ気になるのは女子選手を取り上げるマスコミの移り気です。2000年から2002年にかけて女子野球の存在や活躍が新聞紙上でも取り上げられていましたが、2003年はほとんど見かけません。そうした中での2003年7月27日付朝日の記事、「2年半の感謝始球式に込め/南陽マネ・小倉さん」は、一年前の2002年7月7日付け朝日新聞の「女子選手最後の夏 佐賀唐津南の内村さん 野球が好き。始球式で1球でも。」と対照的な報道でした。
ともに女子生徒が「始球式」で投げた記事ですが、2002年の記事で紹介された内村亜紀子さんは小学校5年から少年野球チームで公式戦にも出場し、男子生徒と共に白球を追いかけた選手。一方、2003年の記事で紹介された小倉かさねさんは小学生のころから野球を見るのが好きで、高校で選手を支え続けたマネジャー。ふたりとも野球を愛し、野球に青春をかけた少女であることにかわりはないでしょう。
しかし、ジェンダーの壁を越えてひたむきに野球に取り組む少女の汗と涙の物語から、男子選手を陰で支えた女房役の讃美へと移った報道が何を示すのか、男子は選手・女子はマネジャーという常識=ジェンダーの枠組みの中で頑張ることが当然・自然であるかのように描く報道に潜むものが何かを敏感に感じるセンスも大切です。
女子選手の切ない願いや男子マネジャーの苦悩に光を当てていくことが、少年少女の多種多様な夢を育て、「らしさ」に縛られた大人たちが作っている窮屈な社会に風穴を開けていくことになるのではないでしょうか。
そんな中で、熊本商業高校野球部の片岡安祐美さんが「関東の大学で硬式野球部に入り公式戦に出場し、先生になって監督になる」と語る夢や、川崎恵理佳さんが所属する熊本県大矢野高校野球部部長の中田澄男さんが公式戦でベンチ入りさせられるよう近々、県高野連にかけあうつもりだという意思に、今後の期待が膨らみます。
(2003年8月5日 一部更新)
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