いよいよ次にクラス全員(になることを心から願っています)で会うのは月曜日の大阪(伊丹)空港のロビーです。旅行前最後の「手紙」なので、『蛍の光』とともに沖縄シリーズを終了します。 1番 蛍の光 窓の雪 書(ふみ)よむ月日 重ねつつ 2番 とまるも行くも 限りとて かたみに思う ちよろずの 1881(明治14)年、日本初の音楽教材として出版された『小学唱歌集』に収められたこの曲は、元をたどればスコットランド民謡です。そしてクリスチャンにとっては讃美歌370番「目覚めよ我が霊」としてなじみ深い曲でもあります。讃美歌の歌詞は次のとおり。(日本基督教団讃美歌委員会 「讃美歌」より) 1番 目覚めよ、わが霊(たま)、 こころ励み、 ちからの限りに、 いそぎ進め。 2番 見物(みもの)のひとびと 雲のごとく、 むらがり囲みて われを挑む。 「一所懸命精進を重ねて真面目に生きていきましょう」と歌ったり、「神様が私たちのあわれな魂を救って下さる」と歌うのもよいでしょう。 3番 筑紫のきわみ 陸(みち)の奥 海山遠く へだつとも 4番 沖縄と北方領土は日本の防波堤と位置付けた『蛍の光』のその後や如何に…… |
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昨日韓国の釜山で閉幕した第14回アジア競技大会は、韓国での競技会に北朝鮮が初参加したということで歴史的な意味を持つ大会になりました。
こうした状況の反映でしょうか、現代文の授業「『世間』とは何か」でも触れたDV≠ェ、沖縄でも深刻な問題となっています。
伝統≠ニいうと、何やらそれだけでありがたがって守ることばかり意識が行きがちですが、一人一人の個人の尊厳≠無視していては文化の発展もないでしょう。テロや戦争やファシズムを防ぐためにも、身近な生活の中の小さな暴力≠見逃さず、闘う力をつけていきませんか? |
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つづく | ||
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幸の影の辛 救いの道はどこにある
みんなもいろんなものを見つけてみては? |
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つづく | |
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今日は中秋の名月、お月見の晩です。心静かに月を見上げる心のゆとりを大切にしたいものですが、ウサギがモチつく静かな月の世界とは違って、地球の世界では人と人とがギシギシこすれあって苦しみの音をたてています。
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つづく | |||
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明日は敬老の日。「長生きしただけのことがそんなにえらいん?」と思う人もいるでしょうが、幾多の歴史の荒波や、山あり谷ありの人生を乗り越えて行くことは並大抵ではないのです。
今回は修学旅行の選択コースのうち、「特別養護老人ホーム谷茶の丘」に出向くボランティアコース≠ノかかわる、沖縄の女性の一生に目を向けてみようと思います。
長寿なのにお年寄が少なく、中でもおじいさんが少ないことと、日本で地上戦≠ェ行なわれた唯一の県が沖縄であることとは、深く関わっていると考えてよいでしょう。第2次世界大戦の戦禍と敗戦後の飢え、差別や不条理を乗り越え、生き抜いて来られた沖縄のお年寄りとかかわることから、自分につらなる親や祖父母の歴史・人生を捉えなおしてみてはどうでしょう。
失業率 第1位
出生率と出産適齢者人口 第1位
離婚率の高さというのはその地方の人と人との結びつき方、個人個人の自立の仕方を示す指標のようで面白いものがあります。 |
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いよいよ修学旅行の選択コースの班作りが始まります。
この記事を読んでも「だからどうだって言うの?」「ジュゴンが絶滅したからといって、誰が困るわけでもないんじゃないの?」と思う人もいるでしょう。確かに、かつてジュゴンの肉は「不老長寿の薬」として珍重されたこともありますが、人間にとって貴重な食糧資源≠ニいうわけでもありません。ひとことで言ってしまえば「たいして役に立たない動物」です。
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昨日は体育祭。体育委員さんや応援団のリーダーさんは長い間の準備ご苦労様でした。 |
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つづく |
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来週鑑賞する演劇「遥かなる甲子園」は、沖縄の聾(ろう=聴覚障害者)学校が舞台です。沖縄県立北城聾学校の高校生が「甲子園」への一歩を踏み出すのにいかに苦労をしたか。 その壁を乗り越える軌跡は戸部良也さんの「遙かなる甲子園―聴こえぬ球音に賭けた16人」に描かれ、映画化もされ、”関西芸術座”のお芝居にもなったのです。 このお芝居を通して二つのことが見えてきます。一つは、高校生のスポーツの頂点とも思われている「甲子園」が持つ弱者を拒絶する差別≠フ歴史。そしてもう一つは、沖縄の「基地」が生んだ隠された悲劇の歴史です。 1981年の野球憲章では、養護学校や聾学校の生徒は参加資格がありませんでした。度重なる参加要請に対する高野連の拒否の理由は「ケガをしたら困る」でした。「健全な球児の祭典」という意識の底に、選民意識≠ェ潜んでいるとはいえないでしょうか? 「甲子園」は外国人学校に通う球児達に対しても、長く門を閉ざしてきました。参加可能に規約を変更し「外国人学校野球部の取り扱い〔特別措置〕」を定めたのは1992年になってからです。 また、2001年の春、男子部員とともに練習を重ね、実績も積み重ねてきた女子部員の公式戦への出場願いを、高野連はまたしても「安全面の問題」を盾にルールの変更を拒否しています。 「高校球児=日本男児」「グランドは男の世界」といった思い込みやこだわりが、歪んだ精神を生み出す場合さえあるかもしれません。 しかし2001年の夏、京都大会で韓国学校は記念すべき京都府大会での「1勝」を上げました。そして、そこには女子部員もいたのです。 さて、もう一つの隠れた問題が「基地」です。1963〜1965年にかけて、沖縄県内に三日はしかが大流行した。その頃にはまだ予防接種もなく、このウィルスが胎児に障害を与えることになろうとは、親も医者も思いもよらない事でした。 実はその前年、アメリカでも三日はしかが大流行し、全米に約2万人の聴覚障害を持つ赤ん坊が誕生していたのです。沖縄でも、1965年に約500人もの障害を持つ赤ん坊が生まれました。おそらく、広大なアメリカ基地を通して広まったに違いなかったのですが、この因果関係はいまだ闇の中です。 「遥かなる甲子園」の舞台、北城県立聾学校は1964〜1965年に多量に生まれた聾児童の教育の為に、特別に建てられた学校でした。そのため1984年、その生徒らが卒業すると北城聾学校は廃校にされてしまいました。 伝統やルールが誰のためのものであるのかをチェックする。もし、それが弱者の犠牲によって成り立ったものであるならば、改める。時代や社会の変化に伴って「人権」に対する意識も変わってきます。 それまであたりまえ≠ナ仕方のない≠ニされていたことが、許すべからざる問題になり、とんでもない∞非常識な≠アとが、何でもない当然のことになるのです。 というより、様々な問題に対し、多くの人が声をあげ立ち上がり、大変な苦労を重ねて変革し続けてきた人類の歴史=伝統をこそ引き継ぐべきではないでしょうか。 |
つづく |
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明日みんなで鑑賞する能「土蜘蛛(つちぐも)」がどんな話なのかは古典の授業やプリントで学んできました。でも、あんまり気にもかけてない人もいるようなのでちょっとおさらい。 シテ(主人公)の源頼光(みなもとのらいこう)は、大江山の酒呑童子(しゅてんどうじ)という鬼を退治したことで有名です。その頼光が病気になったのは葛城山に住むツチグモの化け物のタタリだとわかります。 そこで家来たちがクモの隠れ家を探して襲い、糸を吐いて抵抗するクモを切り殺してしてメデタシメデタシという話。 こで忘れてならないのは、オニもクモの妖怪も、実は朝廷(当時の権力者)に刃向かった地元の抵抗勢力≠フことだったということです。 日本の神話に出てくる日本武尊(ヤマトタケルノミコト)に退治されたバケモノも、大和朝廷に征服された先住民族のことでした。 沖縄は琉球という交易で成り立っていた王国でした。それが江戸時代には薩摩藩に支配され、織物や砂糖を年貢(税)として搾り取られました。 明治になってからも差別的な扱いを受け、戦時中は米軍と日本軍にメチャクチャにされ、20年近くアメリカの支配下に置かれて基地だらけにされた後、30年前に日本に復帰≠オました。 日本の一部だった戦前も、日本に復帰する前の戦後も、沖縄の人々は方言≠使うと罰せられました。学校では方言を使うと方言札≠首からぶら下げられて辱めを受けました。言葉は人々の生活の一部であり、文化そのものでもあります。それを蔑み、否定したのが日本です。 沖縄の人々にとって日の丸≠ヘ手にしたい未来であると同時に忌まわしい過去でもありました。オキナワ≠ェ祖国に復帰した≠ネどというのは、日本の国から見た勝手な言い分とも言えます。 二つのものがぶつかった時、そのどちらもが自分の正義≠主張します。そして、そこで勝ち残った者が正義=A負けた者は悪≠ニして語り継がれます。 私達が楽しむ能や歌舞伎など伝統芸能の世界で活躍する英雄≠焉A土着民や先住民族からすれば、自分達の文化や生活を奪い滅ぼした侵略者≠ノすぎません。 日本の伝統芸能を伝える能楽堂で、血を吹き出しながら死んでいくクモを見ながら、その切なさや、苦しみ、恨みに思いを巡らせることが、オキナワ≠考える新たな視点を養うことになるのではないでしょうか。 |
つづく |
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今日の放課後は生徒大会、明日6月14日は午前中授業で昼から能楽鑑賞会、来週の木曜日6月20日は長岡京市の文化ホールで芸術鑑賞会。 |
つづく |
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