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やりた けんいち

鑓田研一

やりた けんいち

1892. 8.16(明治25)〜 1969. 1.28(昭和44)

大正・昭和期の評論家、小説家

埋葬場所: 3区 1種 24側 15番
〔松澤教会会員墓地〕

 山口県出身。本名は徳座研一、別号は鑓田芳花。神戸中央神学校卒業。1915(T4)宇野千代らと回覧雑誌を作る。トルストイ、プルードンに影響を受け、農民文芸会の機関誌『農民文芸』を拠点に、無政府主義的重農論を展開。また賀川豊彦(同墓)に師事しキリスト教、親鸞などに傾倒した。明治期作家評伝、『賀川豊彦』や『石川啄木』などの伝記小説も書き、新島襄の著作の編集も行う。戦後は日本農民文学会の結成に参加。小説集『生きてゐる土』など一般向け実用書なども執筆した。享年76歳。

<講談社日本人名大辞典など>


松澤教会会員墓地

*鑓田研一は松澤教会会員墓地に眠る。 レンガ作りの後ろ壁には、左側に「彼等は信仰によりて今なお誇る 松澤教会」とあり、右側には「主にある友と賀川豊彦ここにねむる」と刻む。 墓所左側に墓誌があり、2010年現在までに116名が刻み、「徳座妍一鑓田」と刻む名前を確認することが出来る。賀川豊彦一家はもちろん、豊彦の弟の賀川益慶夫妻も眠る。 他に賀川豊彦と親交深い著名な人物も多く眠る。 同墓に眠る主な人物は、賀川豊彦と活動をした農民運動家・政治家の杉山元治郎、支那の農村経済運動家の刈屋久太郎、キリスト新聞の立ち上げに尽力した小川清澄、賀川を世に出した男で社会運動の開拓者である村島帰之、賀川の使徒・オリジン電気創業者の後藤安太郎、洋画家の佐竹徳、賀川の弟子で『百三人の賀川伝』の著者の牧野仲造、フレンド教会日本語牧師の高田松太郎、在日大韓基督教大阪教会牧師の姜喜錫、主恩教会牧師の川上太郎吉、救世軍人の難波義雄らも眠る。


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