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さたけ とく

佐竹 徳

さたけ とく

1897.11.11(明治30)〜 1998.2.3(平成10)

大正・昭和・平成期の洋画家

埋葬場所: 3区 1種 24側 15番
〔松澤教会会員墓地〕

 大阪市出身。本名は徳次郎(墓誌には徳で刻む)。関西美術院、川端画学校で藤島武二らに学ぶ。1929(S4)『ダリヤ』、'30『巌』が帝展で連続特選。'40創元会創立会員。'46日展で『竹園』が特選。
 奥入瀬渓流の風景画などを描いていたが、尊敬する賀川豊彦(同墓)が四国・高松で入院したのを見舞いに行き、その帰りに友人を訪ねた際に見た牛窓が気に入り、'59(S34)より岡山県の牛窓にあるオリーブ園を中心に描くようになった。 '67日展「オリーブと海(牛窓)」で日本芸術院賞受賞。'89(H1)第1回中村彝(つね)賞。'91(H3)日本芸術院会員。日展顧問。'94日動出版から『佐竹徳画集』を刊行。 亡くなる前に作品の多くを牛窓町(現・瀬戸内市)に寄付した(瀬戸内市立美術館所蔵)。享年100歳。

<講談社日本人名大辞典>
<物故洋画家など>


松澤教会会員墓地 松澤教会会員墓地 松澤教会会員墓地

*「松澤教会会員墓地」に眠る。レンガ作りの後ろ壁には、左側に「彼等は信仰によりて今なお誇る 松澤教会」とあり、右側には「主にある友と賀川豊彦ここにねむる」と刻む。墓所内には2つの大きな墓誌が建ち、両面に埋葬されている方々の名前が刻む。墓誌には1面に左19名、中19名、右19名の計57名が刻めるようになっており、2022年3月現在で4面に205名の名が刻む。

※松澤教会会員墓地側正面にある墓誌で墓地側の面を「墓誌1」とする。その墓誌の外側に向いている面を「墓誌2」とする。墓地左手側にある墓誌で墓地側の面を「墓誌3」とする。その墓誌の外側に向いている面を「墓誌4」とする。また、墓誌に刻む人物を紹介する際には、墓誌1〜4の「左、中、右」、上からもしくは下から何番目とする。

松澤教会会員墓地 墓誌1 墓誌1(*クリックで拡大)
松澤教会会員墓地 墓誌2 墓誌2(*クリックで拡大)
松澤教会会員墓地 墓誌3 墓誌3(*クリックで拡大)
松澤教会会員墓地 墓誌7 墓誌4(*クリックで拡大)

*賀川豊彦は「墓誌1」左・下から3番目。賀川ハルは「墓誌2」左・上から10番目。賀川商店社長・実業家、賀川豊彦の弟の賀川益慶(1893-1971.9.10)は「墓誌1」右・一番上。賀川純基は「墓誌3」右・上から2番目。賀川督明は「墓誌4」左・一番下。

*賀川家一族以外にも同墓には著名な方々も眠っている。賀川豊彦と活動をした農民運動家・政治家の杉山元治郎(墓誌1・中・上から4番目)、支那の農村経済運動家の刈屋久太郎(墓誌1・左・上から7番目)、キリスト新聞の立ち上げに尽力した小川清澄(墓誌1・左・上から11番目)、賀川を世に出した男で社会運動の開拓者である村島帰之(墓誌1・中・上から2番目)、小説家の鑓田研一(墓誌1・中・上から11番目)、賀川の使徒・オリジン電気創業者の後藤安太郎(墓誌1・右・上から3番目)、洋画家の佐竹徳(墓誌3・左・下から5番目)、賀川の弟子で『百三人の賀川伝』の著者の牧野仲造(墓誌3・左・上から9番目)、フレンド教会日本語牧師の高田松太郎(墓誌2・中・一番上)、在日大韓基督教大阪教会牧師の姜喜錫(墓誌1・中・上から5番目)主恩教会牧師の川上太郎吉(墓誌1・中・下から8番目)、救世軍人の難波義雄(墓誌1・中・下から6番目)らも眠る。


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