メイン » » » 賀川督明
かがわ とくあき

賀川督明

かがわ とくあき

1953.7.27(昭和28)〜 2014.9.17(平成26)

昭和・平成期のグラフィックデザイナー、
賀川記念館館長

埋葬場所: 3区 1種 24側 15番
〔松澤教会会員墓地〕

 東京都出身。祖父は平和活動家・基督教伝道者の賀川豊彦、祖母は社会事業家の賀川ハル(共に同墓)。父は教会音楽家の賀川純基(同墓)。
 1976(S51)カガワデザインワークショップ有限会社を東京都世田谷区に開業し代表となる。デザイナー、グラフィックデザイナーとして学校や会社案内パンフレット、商品カタログ等の企画製作を行う。
 犬と自然のある暮らしを求め、1997(H9)より週末ハウスとして山梨県都留市盛里地区に土地を借りて、夫婦で家づくりに着手。また自身の会社のデザイン分室を設ける。東京都世田谷区からの二地域居住を楽しみながら、8年かけてログハウスを完成させた。2005 前年に父の純基が亡くなったこともあり、都留市に夫婦で本格的に完全移住した。
 賀川豊彦の活動開始100年を機に「賀川豊彦献身100年記念事業」に参画。2008 神戸にも拠点を設ける。2010 神戸の賀川記念館館長に就任。他に、社会福祉法人・学校法人イエス団理事、財団法人雲柱社評議員、兵庫県ユニセフ協会理事を務め、2012 全国国際協同組合年実行委員も歴任した。
 晩年は「11えん募金」の運動を提唱。11えんの募金によって被災地とのご縁を紡いでいく取り組みであり、「11」は、東日本大震災の3・11はもちろん、アメリカ同時多発テロ事件の9・11、ハイチ震災の1・12や阪神淡路大震災の1・17を連想する数字でもあり、被災の記憶と支援を続けていこうというアクションを促す運動である。神戸大学の学生たちらと毎月11日に街頭募金をおこなう活動を行った。
 耳下腺癌の多発性転移のため逝去。享年61歳。お別れ会、出棺式は東京都世田谷区上北沢の賀川豊彦記念松沢資料館・礼拝堂にて執り行われた。

<訃報記事>
<都留市「移住者インタビューNo.2賀川さん」>
<「賀川督明さんのちょっといい話」コープともしびボランティア振興財団:2012年4月5日>


松澤教会会員墓地 松澤教会会員墓地 松澤教会会員墓地

*「松澤教会会員墓地」に眠る。レンガ作りの後ろ壁には、左側に「彼等は信仰によりて今なお誇る 松澤教会」とあり、右側には「主にある友と賀川豊彦ここにねむる」と刻む。墓所内には2つの大きな墓誌が建ち、両面に埋葬されている方々の名前が刻む。墓誌には1面に左19名、中19名、右19名の計57名が刻めるようになっており、2022年3月現在で4面に205名の名が刻む。

※松澤教会会員墓地側正面にある墓誌で墓地側の面を「墓誌1」とする。その墓誌の外側に向いている面を「墓誌2」とする。墓地左手側にある墓誌で墓地側の面を「墓誌3」とする。その墓誌の外側に向いている面を「墓誌4」とする。また、墓誌に刻む人物を紹介する際には、墓誌1〜4の「左、中、右」、上からもしくは下から何番目とする。

松澤教会会員墓地 墓誌1 墓誌1(*クリックで拡大)
松澤教会会員墓地 墓誌2 墓誌2(*クリックで拡大)
松澤教会会員墓地 墓誌3 墓誌3(*クリックで拡大)
松澤教会会員墓地 墓誌7 墓誌4(*クリックで拡大)

*賀川豊彦は「墓誌1」左・下から3番目。賀川ハルは「墓誌2」左・上から10番目。賀川商店社長・実業家、賀川豊彦の弟の賀川益慶(1893-1971.9.10)は「墓誌1」右・一番上。賀川純基は「墓誌3」右・上から2番目。賀川督明は「墓誌4」左・一番下。

*賀川家一族以外にも同墓には著名な方々も眠っている。賀川豊彦と活動をした農民運動家・政治家の杉山元治郎(墓誌1・中・上から4番目)、支那の農村経済運動家の刈屋久太郎(墓誌1・左・上から7番目)、キリスト新聞の立ち上げに尽力した小川清澄(墓誌1・左・上から11番目)、賀川を世に出した男で社会運動の開拓者である村島帰之(墓誌1・中・上から2番目)、小説家の鑓田研一(墓誌1・中・上から11番目)、賀川の使徒・オリジン電気創業者の後藤安太郎(墓誌1・右・上から3番目)、洋画家の佐竹徳(墓誌3・左・下から5番目)、賀川の弟子で『百三人の賀川伝』の著者の牧野仲造(墓誌3・左・上から9番目)、フレンド教会日本語牧師の高田松太郎(墓誌2・中・一番上)、在日大韓基督教大阪教会牧師の姜喜錫(墓誌1・中・上から5番目)主恩教会牧師の川上太郎吉(墓誌1・中・下から8番目)、救世軍人の難波義雄(墓誌1・中・下から6番目)らも眠る。


関連リンク:



| メイン | 著名人リスト・か | 区別リスト |
このページに掲載されている文章および画像、その他全ての無許可転載を禁止します。