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すぎやま もとじろう

杉山元治郎

すぎやま もとじろう

1885.11.18(明治18)〜 1964.10.11(昭和39)

大正・昭和期の農民運動家、政治家

埋葬場所: 3区 1種 24側 15番
〔松澤教会会員墓地〕

 大阪出身。東北学院大学神学部卒業。和歌山県農会書記、のち神学校に学び、東北で農民の生活改善と伝道に従事した。
 神戸市新川の賀川豊彦(同墓)を訪ね、農民運動をおこすことを勧められ、1922(T11)2人が中心となって日本農民組合を創立、初代組合長となる。賀川は理事に就任した。 '26日農が主唱して結成された労働農民党の初代中央執行委員長となったが、党内の左右対立から同年12月に辞任、脱党して日本労農党系として行動。 '27(S2)日農の第2次分裂で日労党系の全日本農民組合の組合長となり、翌年日農が再合同して全国農民組合が結成されると、その中央執行委員長に選ばれた。
 '32(S7)大阪5区から全国労農大衆党公認として衆議院議員に立候補して初当選。'36〜'37社会大衆党から出馬し2期連続当選。'42翼賛選挙でも非推薦のまま当選。 戦後、日本農民組合が再組織されると顧問となり、衆議院議員としては社会党に属し、'51分裂では右派に所属。'55左右社会党の統一後、衆議院副議長となった。 選挙では合計9回当選した。享年78歳。没後に『土地と自由のために−杉山元治郎伝』('65刊行会編)が出された。

<コンサイス日本人名大事典>
<講談社日本人名大辞典>
<人物20世紀>


松澤教会会員墓地 松澤教会会員墓地 松澤教会会員墓地

*「松澤教会会員墓地」に眠る。レンガ作りの後ろ壁には、左側に「彼等は信仰によりて今なお誇る 松澤教会」とあり、右側には「主にある友と賀川豊彦ここにねむる」と刻む。墓所内には2つの大きな墓誌が建ち、両面に埋葬されている方々の名前が刻む。墓誌には1面に左19名、中19名、右19名の計57名が刻めるようになっており、2022年3月現在で4面に205名の名が刻む。

※松澤教会会員墓地側正面にある墓誌で墓地側の面を「墓誌1」とする。その墓誌の外側に向いている面を「墓誌2」とする。墓地左手側にある墓誌で墓地側の面を「墓誌3」とする。その墓誌の外側に向いている面を「墓誌4」とする。また、墓誌に刻む人物を紹介する際には、墓誌1〜4の「左、中、右」、上からもしくは下から何番目とする。

松澤教会会員墓地 墓誌1 墓誌1(*クリックで拡大)
松澤教会会員墓地 墓誌2 墓誌2(*クリックで拡大)
松澤教会会員墓地 墓誌3 墓誌3(*クリックで拡大)
松澤教会会員墓地 墓誌7 墓誌4(*クリックで拡大)

*賀川豊彦は「墓誌1」左・下から3番目。賀川ハルは「墓誌2」左・上から10番目。賀川商店社長・実業家、賀川豊彦の弟の賀川益慶(1893-1971.9.10)は「墓誌1」右・一番上。賀川純基は「墓誌3」右・上から2番目。賀川督明は「墓誌4」左・一番下。

*賀川家一族以外にも同墓には著名な方々も眠っている。賀川豊彦と活動をした農民運動家・政治家の杉山元治郎(墓誌1・中・上から4番目)、支那の農村経済運動家の刈屋久太郎(墓誌1・左・上から7番目)、キリスト新聞の立ち上げに尽力した小川清澄(墓誌1・左・上から11番目)、賀川を世に出した男で社会運動の開拓者である村島帰之(墓誌1・中・上から2番目)、小説家の鑓田研一(墓誌1・中・上から11番目)、賀川の使徒・オリジン電気創業者の後藤安太郎(墓誌1・右・上から3番目)、洋画家の佐竹徳(墓誌3・左・下から5番目)、賀川の弟子で『百三人の賀川伝』の著者の牧野仲造(墓誌3・左・上から9番目)、フレンド教会日本語牧師の高田松太郎(墓誌2・中・一番上)、在日大韓基督教大阪教会牧師の姜喜錫(墓誌1・中・上から5番目)主恩教会牧師の川上太郎吉(墓誌1・中・下から8番目)、救世軍人の難波義雄(墓誌1・中・下から6番目)らも眠る。


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