神奈川県横須賀出身。芝房吉・むらの長女。旧姓は芝。後年はる子、春子と名のる。1902(M35)東京豊島小学校卒業。
15歳の時東京日本橋の相場師の家に奉公し、父の転勤で神戸に転居、印刷女子工員になる。
1911(M44)賀川豊彦のスラム救済事業を知り、仕事を続けながら奉仕活動に従事。
1913(T2)5月27日、賀川豊彦と結婚。夫から代数や幾何を学び、生理学や動物学をも学んだ。
スラムに住み巡回看護婦の仕事を毎日続けるうち、悪性のトラホームに感染、右目は失明状態となった。
1914豊彦の渡米を機に横浜共立女子神学校に入学、1917卒業、眼の手術をうける。
1921神戸の川崎・三菱造船所の労働争議に覚醒婦人協会会長として労働者の救援活動にあたる。
翌年、豊彦とともに財団法人イエス団を設立し理事となる。1923関東大震災の被災者援護のため救済事業に従事。
1931(S6)松沢幼稚園を開設、1938福祉法人雲柱社の理事、1956から日本基督教婦人矯風会の理事をつとめた。
1960夫の豊彦と死別、イエス団、雲柱社の理事長として夫の事業を引継いだ。
1981(S56)10月、69年間に及ぶ社会福祉活動の功績により名誉都民として顕彰された。享年94歳。
著書に『女中奉公と女工生活』『太陽地に落ちず』がある。