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やまむろ ぐんぺい

山室軍平

やまむろ ぐんぺい

1872.9.1(明治5.7.29)〜 1940.3.13(昭和15)

明治・大正・昭和期の伝道者、
社会福祉事業家、救世軍司令官

埋葬場所: 15区 1種 11側 1番

 岡山県阿哲郡哲多町(新見市)出身。山室佐八、登毛の三男。乏しい農家であったため、幼少期に養子に出されたるが、1886(M19)出奔、山室姓に戻り、上京して活版工となる。教会主催の英語学校で学び、キリスト教に触れ、感化しキリスト教に入信。苦学して築地伝道学校、1889同志社大学神学部入学。1891濃尾地震の時、同郷の石井十次と協力して孤児救済のための活動を行う。1894健康を害したことや自由主義神学(リベラル)の反発から大学を中退し、石井らとともに旧メソヂストの高梁教会などで伝道活動を行った。
 1895英国救世軍の来日を機にこれに従軍し、日本最初の士官として日本救世軍の創設発展に尽力。救世軍パンフレット『鬨の声』や、1899『平民の福音』を刊行。1900娼妓自由廃業運動を開始を皮切りに、労働紹介所の設置、歳末慈善鍋(社会鍋)の開始、児童虐待防止運動の開始、その他、結核療養、婦人・児童保護、貧困者医療など社会福祉事業に携わった。また救世軍ブース記念病院、救世軍療養所を開設した。'07救世軍万国司令官ブース大将来日時には通訳を務め、日本救世軍書記長官に任命された。'24(T13)勲六等瑞宝章を受章。'26救世軍日本司令官、'30(S5)アジアで初めて中将となった。'37救世軍より創立者賞受賞。
 民衆の説教者として各地を伝道してまわる。主な著書に『選書』10巻・別巻1、『救世軍略史』など多数ある。享年67歳。

<コンサイス日本人名事典>
<日本キリスト教総覧など>


墓地

*墓所正面「山室軍平墓」、裏面は生没年月日が刻む。墓所右側の軍平墓側から、軍平の前妻の「山室機恵子之墓」、前面には「幸福は唯十字架の側に在り 安藤太郎 謹書」、裏面は生没年月日が刻む。その右隣りは軍平の後妻の「山室悦子之墓」、前面には「蘇峯徳富正敬 書」、裏面は生没年月日が刻む。その右隣りは軍平の子息の墓誌碑で「喜びをもって主に仕えよ」と刻み、下記5名が刻み、裏面に生没年月日が刻む。山室民子(長女:1900.9.18-1981.11.4)、山室光子(二女:1911.3.18-1999.1.10)、山室徳子(五女:1918.9.15-2006.3.16)、山室潔(五男:1921.12.20-1999.12.25)、山室恵美(1924.5.30-2007.1.17)。墓所左側に墓誌が建ち、早死した軍平の子息らが刻み、武甫、典子(1944.8.21-1993.2.4)と続く。武甫の後妻で作家の阿部光子(1912.12.25-2008.2.26)の刻みはないので、同墓に眠っているかは不明。

山室軍平句碑 山室軍平句碑

*山室軍平墓所すぐ近く、バス通りに面する15区の角に、「山室軍平碑」が建つ。碑の前面は山室軍平の自筆でコリント人への手紙第二6章10節が刻む。「憂たる者の如くあれども常に喜び 貧しさ者の如くあれども多くの人を富ませ 何も有たぬ者の如くあれども凡との物を有てり」(悲しんでいるようであるが、常に喜んでおり、貧しいようであるが、多くの人を富ませ、何も持たないようであるが、すべての物を持っている)。裏面は徳富蘇峰の書で山室軍平の人物評が漢文で刻み、最後に「友人 蘇峯徳富正敬 書」とある。


救世軍墓所

*救世軍は世界133の国と地域(2023年現在)で活動する国際的なキリスト教(プロテスタント)の教会。本部は英国ロンドン。 多磨霊園には日本救世軍財団の墓所が3ヶ所ある。救世軍士官墓地(士官):7区1種5側1番、救世軍人墓地(チャールズD):2区2種2側23番、救世軍社会部墓地(社会事業):2区2種14側42番。

*山室軍平、石井十次、留岡幸助(13-1-18-1)、アリス・ペティ・アダムスの四名を「岡山四聖人」と呼ぶ。



第348回 救世軍 日本初の募金活動 社会鍋 山室軍平 お墓ツアー
The Salvation Army Japan


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