東京出身。本名は山室光(墓誌には山室光子)。本女子大学校中退。1941(S16)『猫柳』が芥川賞候補となる。
'43日本救世軍司令官の山室軍平(同墓)の長男であり社会事業家の山室武甫(同墓)と結婚。
結婚後も『ルツ物語』('56)、『かがやいた星』('59)など執筆し、'64から日本聖書神学校にまなび、伝道にもつとめた。
同年、『遅い目覚めながらも』、『神学校一年生』で田村俊子賞、'68『遅い目覚めながらも』で女流文学賞受賞。
主な著書に『花は来年も咲くけれども』、『悪霊の左大臣』、『老いたるシンデレラ』、『「或る女」の生涯』、『心のおしゃれ』、『阿部光子の更級日記・堤中納言物語』、『献花』、『その微笑の中に』あど多数ある。
心不全で逝去。享年95歳。葬儀は29日に日本聖書神学校で営まわれた。喪主は長男で和泉多摩川教会の牧師を務める山室眞平。
*墓所正面「山室軍平墓」、裏面は生没年月日が刻む。墓所右側の軍平墓側から、軍平の前妻の「山室機恵子之墓」、前面には「幸福は唯十字架の側に在り 安藤太郎 謹書」、裏面は生没年月日が刻む。その右隣りは軍平の後妻の「山室悦子之墓」、前面には「蘇峯徳富正敬 書」、裏面は生没年月日が刻む。その右隣りは軍平の子息の墓誌碑で「喜びをもって主に仕えよ」と刻み、下記5名が刻み、裏面に生没年月日が刻む。山室民子(長女:1900.9.18-1981.11.4)、山室光子(二女:1911.3.18-1999.1.10)、山室徳子(五女:1918.9.15-2006.3.16)、山室潔(五男:1921.12.20-1999.12.25)、山室恵美(1924.5.30-2007.1.17)。墓所左側に墓誌が建ち、早死した軍平の子息らが刻み、武甫、典子(1944.8.21-1993.2.4)と続く。武甫の後妻で作家の阿部光子(1912.12.25-2008.2.26)の刻みはないので、同墓に眠っているかは不明。
※墓誌に武甫の名前の確認ができているが、妻の阿部光子の名を確認できていないため現在調査中。「歴史が眠る多磨霊園」は故人を通して歴史を学ぶをコンセプトとしているため、掲載は残します。