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やまむろ きえこ

山室機恵子

やまむろ きえこ

1874.12.5(明治7)〜 1916.7.12(大正5)

大正・昭和期の教育者、
社会事業家(日本救世軍の母)、軍平の前妻

埋葬場所: 15区 1種 11側 1番

 旧姓は佐藤。岩手県花巻出身。旧藩士の娘。1891(M24)上京。明治女学校在学中に植村正久(1-1-1-8)から受洗。卒業後、女紅学校で教鞭をとり、『女学雑誌』に携わった。 創設間もない救世軍で軍平が苦闘している姿にうたれ、家族の反対を押し切って1899(M32)軍平と結婚する。 夫とともに娼妓を保護する婦人救済者の中心となり、更生施設「東京婦人ホーム」の主任として婦人救済に尽力した。
 1905(M38)に起こった東北地方の冷害後、百数十名の子供を引き取り、児童保護の救済にあたった。また結核療養所設立に奔走し尽力した。41歳の若さで没す。
 没後、津田梅子の提唱で療養所内に「山室機恵子記念会堂」が建てられた。機恵子の遺志により病人搬送専用自動車三台も誕生した。日本最初の救急車が横浜山下町消防署に導入されたのは、その16年後の1933年のことであったので、救急車の先駆けである。

<別冊歴史読本'80夏第15号>
<日本女性史「人物」総覧>


救世軍墓所

*救世軍は世界133の国と地域(2023年現在)で活動する国際的なキリスト教(プロテスタント)の教会。本部は英国ロンドン。 多磨霊園には日本救世軍財団の墓所が3ヶ所ある。 救世軍士官墓地(士官):7区1種5側1番、救世軍人墓地(チャールズD):2区2種2側23番、救世軍社会部墓地(社会事業):2区2種14側42番。写真は救世軍士官墓地。


墓地

*墓所正面「山室軍平墓」、裏面は生没年月日が刻む。墓所右側の軍平墓側から、軍平の前妻の「山室機恵子之墓」、前面には「幸福は唯十字架の側に在り 安藤太郎 謹書」、裏面は生没年月日が刻む。その右隣りは軍平の後妻の「山室悦子之墓」、前面には「蘇峯徳富正敬 書」、裏面は生没年月日が刻む。その右隣りは軍平の子息の墓誌碑で「喜びをもって主に仕えよ」と刻み、下記5名が刻み、裏面に生没年月日が刻む。山室民子(長女:1900.9.18-1981.11.4)、山室光子(二女:1911.3.18-1999.1.10)、山室徳子(五女:1918.9.15-2006.3.16)、山室潔(五男:1921.12.20-1999.12.25)、山室恵美(1924.5.30-2007.1.17)。墓所左側に墓誌が建ち、早死した軍平の子息らが刻み、武甫、典子(1944.8.21-1993.2.4)と続く。武甫の後妻で作家の阿部光子(1912.12.25-2008.2.26)の刻みはないので、同墓に眠っているかは不明。



第349回 日本救世軍 山室軍平一族 山室機恵子 山室悦子 山室武甫
山室民子 山室光子 お墓ツアー The Salvation Army Japan


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