メイン » » » 山室機恵子
やまむろ きえこ

山室機恵子

やまむろ きえこ

1874(明治7)〜 1917(大正6)

大正・昭和期の社会事業家(日本救世軍の母)

埋葬場所: 15区 1種 11側 1番

 旧姓は佐藤。岩手県花巻出身。旧藩士の娘。1891(M24)上京。明治女学校在学中に植村正久(1-1-1-8)から受洗。卒業後、女紅学校で教鞭をとり、『女学雑誌』に携わった。 創設間もない救世軍で軍平が苦闘している姿にうたれ、家族の反対を押し切って1899(M32)軍平と結婚する。 夫とともに娼妓を保護する婦人救済者の中心となり、更生施設「東京婦人ホーム」の主任として婦人救済に尽力した。 また1905(M38)に起こった東北地方の冷害後、百数十名の子供を引き取り、結核療養所設立に奔走し、保護された女子の救済にあたった。子に社会事業家の民子、武甫(共に同墓)らがいる。

<別冊歴史読本'80夏第15号>
<日本女性史「人物」総覧>


救世軍墓所

*救世軍は世界121の国と地域で働きを進める国際的なキリスト教(プロテスタント)の教会。本部は英国ロンドン。 多磨霊園には日本救世軍財団の墓所が3ヶ所ある。 救世軍士官墓地(士官):7区1種5側1番、救世軍人墓地(チャールズD):2区2種2側23番、救世軍社会部墓地(社会事業):2区2種14側42番。写真は救世軍士官墓地。


墓地

*山室家の墓所には、日本救世軍司令官の山室軍平を筆頭に、先妻の機恵子の他、後妻で社会事業家の山室悦子、軍平と機恵子との長女である社会事業家の山室民子、長男で社会事業家・著述家の山室武甫、武甫の妻で小説家の阿部光子も眠る。

*津田梅子英学塾長の提唱で療養所内に「山室機恵子記念会堂」が建てられた。機恵子の遺志により病人搬送専用自動車三台が誕生したが、日本最初の救急車が横浜山下町消防署に導入されたのは、その16年後の1933年のことであった。


関連リンク:



| メイン | 著名人リスト・や行 | 区別リスト |
このページに掲載されている文章および画像、その他全ての無許可転載を禁止します。