メイン » » » 山室武甫
やまむろ ぶほ

山室武甫

やまむろ ぶほ

1902.9.17(明治35)〜 1980.6.23(昭和55)

昭和期の社会事業家、著述家

埋葬場所: 15区 1種 11側 1番

 山室軍平(同墓)、機恵子(同墓)の長男として生れ、救世軍の創立者ウイリアム・ブースの「ブ」と、フレンド派の創始者ジョージ・フォックスの「フォ」から『ぶほ』と命名される。 15歳の時に母の機恵子が亡くなり、すぐに再婚した悦子(同墓)に育てられる。 府立一中卒、同志社大学予科修了、早稲田第二高等学院文科卒、東京神学社神学校(東京神学大学前身)卒(T15.3)、救世軍士官学校を経て英国の万国士官学校卒(S3.5)。救世軍小隊長、本営青年部、編集部、士官学校などに勤務(S3.7-17.3)。 以後、文筆活動を主とし、『山室軍平選集』『人類愛の使徒ウイリアム・ブース』『平和の使徒ジョージ・フォックス』『ヘレン・ケラー伝』ほか編著書多数。1971(S46)主論文「ウイリアム・ブースと日本」により、米国国際大学(International University)より文学博士号を取得。 日本禁酒同盟理事、日本酒害防止協会理事、日本点字図書館評議員、愛の友協会(肢体不自由者福祉)理事、日本アルコール問題連絡協議会理事、日本アルコール医学会評議員、全日本断酒連盟顧問などの奉仕活動に従事。 大東文化大学講師(S43-55)兼務。没後、ウイリアム・ブース著、山室武甫訳、岡田藤太郎監修『最暗黒の英国とその出路が1987年に刊行された。

<MATHU様より情報提供>


墓地

*墓所正面「山室軍平墓」、裏面は生没年月日が刻む。墓所右側の軍平墓側から、軍平の前妻の「山室機恵子之墓」、前面には「幸福は唯十字架の側に在り 安藤太郎 謹書」、裏面は生没年月日が刻む。その右隣りは軍平の後妻の「山室悦子之墓」、前面には「蘇峯徳富正敬 書」、裏面は生没年月日が刻む。その右隣りは軍平の子息の墓誌碑で「喜びをもって主に仕えよ」と刻み、下記5名が刻み、裏面に生没年月日が刻む。山室民子(長女:1900.9.18-1981.11.4)、山室光子(二女:1911.3.18-1999.1.10)、山室徳子(五女:1918.9.15-2006.3.16)、山室潔(五男:1921.12.20-1999.12.25)、山室恵美(1924.5.30-2007.1.17)。墓所左側に墓誌が建ち、早死した軍平の子息らが刻み、武甫、典子(1944.8.21-1993.2.4)と続く。武甫の後妻で作家の阿部光子(1912.12.25-2008.2.26)の刻みはないので、同墓に眠っているかは不明。



第349回 日本救世軍 山室軍平一族 山室機恵子 山室悦子 山室武甫
山室民子 山室光子 お墓ツアー The Salvation Army Japan


関連リンク:



| メイン | 著名人リスト・や行 | 区別リスト |
このページに掲載されている文章および画像、その他全ての無許可転載を禁止します。